都倉俊一
都倉ノートとは・・・?
音楽のことや、プライベイトなお話、時には時事ネタコラムまで、都倉俊一自身が日々を綴るBlog。

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2007.09.28 Friday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハーモニー(第10回・その1)

都倉俊一の辛口ハーモニー(第10回・その1)

辛口ハーモニーは1990−91年ごろに書いたコラムです。したがって今読むと何だかおかしい感じのするところもありますが、ご容赦を。
たとえばブッシュ大統領といえば今のブッシュの父親だし、湾岸戦争も今のイラク戦争とは違います。
しかし読んでゆくと今の情勢とまったくオーバーラップしてきます。
人間は歴史からあまり学ばないものですね。憲法問題も最近よく議論されますが、16年前はまだマスコミもそれほど取り上げない時代でした。

日本はこの15年でどのくらい変ったのか、日本の政治は、外交は?
それらを比べながら読むとかんがえさせられるものがあります。

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「思い出深い町ベルリン」
  〜突然届いた一通のFAXによって、
思い出した60年代と35年ぶりに出会った友人は…〜

 4年ぶりのベルリンであった。北国の夏は短い。8月と言えばもう空気の中には秋のにおいが漂い始めている。

 25年前、私は高校時代をこのベルリンで過ごした。私にとって、このベルリンは実に想い出の多い青春の街ある。多くの友人を作り、音楽に熱中した。時には恋もしたし、スポーツも大いに楽しんだ。

 しかしそんな私の熱い想い出とは裏腹に、60年代と言えばまさに東西の冷戦の真っ只中であった。

 1961年8月のある日、それまで通行自由であった、ベルリンの東西の境界線に突然、ソ連の戦車が出撃し、バリケードを作り始めた。その朝、いつものようにその境界線を通って東側に出掛けた人々はそれ以来、30年に渡って東ベルリンから帰れなくなったのである。私の同級生、知人らも、ほとんど例外なくその親族の誰かを東側に残していた。

 それでも60年代の前半といえば、まだ毎日のようにそのバリケードを越えて西側に脱出してくる人々が後を断たなかった。

 そして壁にまつわる多くの悲劇も生まれたのである。しかし、次第に壁も近代的に補強されるにしたがって、そんな話は聞かなくなる。ベルリンの東西分断という既成事実が、定着した形になってしまった。

<次回へ続く>

2007.09.14 Friday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第9回 その2)

都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第9回 その2)

 辛口ハーモニーは1990−91年ごろに書いたコラムです。したがって今読むと何だかおかしい感じのするところもありますが、ご容赦を。
たとえばブッシュ大統領といえば今のブッシュの父親だし、湾岸戦争も今のイラク戦争とは違います。
しかし読んでゆくと今の情勢とまったくオーバーラップしてきます。
人間は歴史からあまり学ばないものですね。憲法問題も最近よく議論されますが、16年前はまだマスコミもそれほど取り上げない時代でした。

日本はこの15年でどのくらい変ったのか、日本の政治は、外交は?
それらを比べながら読むとかんがえさせられるものがあります。

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 近代史に東郷元帥登場させるのは結構なことである。しかし今、アジアの中の日本、世界の中の日本を唱える時、我々は日本の昭和史を正確に後世に伝えなければならないのである。ドイツの統一で、世界は新しい時代を迎えた。

 しかし、この統一もドイツにとっては戦後、辛くて苦しい道程であった。東西の冷戦の象徴のように分割され、戦争中のナチスの悪行については日本と比べ物にならないほど糾弾され、今日に至るまでその責任を追及され続けている。

ドイツはそれをひとつひとつ歴史の事実として認め、自戒しつつ進んできた。それがなければ世界はドイツの統一を許さなかったであろうし、ドイツは国際社会に復帰する事もままならなかったに違いない。

 しかし彼らは同時に新しいドイツを主張する事も忘れてはいない。ナチス時代を教訓にドイツは生まれ変わった事を強調すると共に、戦後、独立国としての権利はあくまで主張し続けてきたのである。

 日本も真の国際社会の一員になるためには、もう一度、日本の現代史を見直してみる必要がある。中には日本人にとって辛い一面もあるかもしれないが、それを乗り越えてはじめて日本の主張もできる。

 昭和史にとって、重要な出来事であった極東軍事裁判。今、我々はこの原点に立ち返って日本の戦後史の矛盾を見直す時でもある。今、何が日本の社会を軋ませているのか。我々は昭和史の中に何かを置き忘れてこなかったのか。市ヶ谷の、あの大講堂が何かを語ってくれているような気もする。

<第9回・了>