
都倉ノートとは・・・?
音楽のことや、プライベイトなお話、時には時事ネタコラムまで、都倉俊一自身が日々を綴るBlog。
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辛口ハーモニーは1990−91年ごろに書いたコラムです。したがって今読むと何だかおかしい感じのするところもありますが、ご容赦を。
たとえばブッシュ大統領といえば今のブッシュの父親だし、湾岸戦争も今のイラク戦争とは違います。
しかし読んでゆくと今の情勢とまったくオーバーラップしてきます。
人間は歴史からあまり学ばないものですね。憲法問題も最近よく議論されますが、16年前はまだマスコミもそれほど取り上げない時代でした。
日本はこの15年でどのくらい変ったのか、日本の政治は、外交は?
それらを比べながら読むとかんがえさせられるものがあります。
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辛口ハーモニー(4)「湾岸戦争が世に問うたモノ」
〜正義とはなにかを追求していくと、そこに見えてくる答えに戦争の勝ち負けなどはなく・・・〜
1991年の1月17日、私はニューヨークのニューアーク空港のラウンジで、搭乗案内を待っていた。ラウンジのテレビでは、その前数週間と同様、いつアメリカを始めとする多国籍軍がイラクに進攻するか、いつ戦争がはじまるのかという話題ばかりである。
この頃にもなると、西側の報道陣はことごとくイラクを引き払い、アメリカのCNNの記者ほか数人がバグダッドに残るのみであった。
ニューヨーク時間で午後7時30分、私のロンドン行きの搭乗案内がアナウンスされ、私は飲みかけのビールをおいて席を立った。ちょうどその時、ラウンジのテレビの前に人だかりがして、たまたま映っていたCNNテレビのアナウンサーがなにか大きな声で話している。
私は時間もないのでそのまま搭乗し、離陸前に機長のアナウンスで、ようやく多国籍軍がイラクに爆撃を開始したことを知った。
ロンドンに着いて“ホッ”とする間もなくヒースロー空港にはタンクが出勤していて、モノモノしい雰囲気である。
タクシーの運転手との話も、もっぱら戦争のこと。彼は興奮気味にまくしたてた。
「やっと、あのフセインの目にものを見せてやる時が来たんですよ。人の国に勝手に進攻して、自分の国の一部だといいやがる。我が軍(Our Boys)が痛い目にあわせてやりますよ」
彼の愛国的な演説は、メイフェアー地区の我が家に着くまで続いた。
家でテレビをつけても、やはりこの話でもちきりである。多国籍軍の電撃的な戦果が、画面をかざっている。
ニュースのコメントもR・A・F(女王陛下の空軍)の勇気ある出撃を絶賛しつつ、イギリスの世界に対する責任を力説している。大英帝国いまだ健在、という印象である。
おもえばアメリカでも、この湾岸危機に関してはこの半年の間、積極論と消極論とに大きく分かれていた。上下両院の戦争の賛否を問う決議でも、かろうじてブッシュ大統領は信任を得たのであるが、民主党を中心とする反対意見はなお根強く、国論は真っ二つに分かれていたのは事実である。
ところがいざ開戦となると、あらゆる消極論は姿を消して、国論はまさに戦争支持一色である。民主党議員も、決まり文句のように
「我々の息子達、命をかけて正義を守ろうとしている我々の息子達を応援しよう」
である。極論すれば、何か戦争に反対するのは裏切り者、という風潮すらあったようだ。
アメリカの最大ネットワークの世論調査で、この戦争は“正義”の戦いであるのかどうかという問いに、80パーセント近くの人々が“正義の戦い(Just War)”と答えたそうである。これより多い支持率は、第二次大戦(89パーセント)だけであり、あの独立戦争ですら、60パーセント台であったことから、いかに現在のところ、このサダム・フセインという悪玉に対し、“正義”を行っているとアメリカ人が信じているかがうかがえる。
我が国はご多分にもれず、相変わらず、世界の様子をうかがいながら、進路を決めてゆく。したがってなにを決めても、ワンテンポ遅れているため、世界からあまり評価を受けないという、いつものパターンを続けている。
しかしながら、世界的な反イラクという旗は一緒に振っているわけで、これまたアメリカの“正義”を応援する立場である。
次回へ続く
辛口ハーモニーは1990−91年ごろに書いたコラムです。したがって今読むと何だかおかしい感じのするところもありますが、ご容赦を。
たとえばブッシュ大統領といえば今のブッシュの父親だし、湾岸戦争も今のイラク戦争とは違います。
しかし読んでゆくと今の情勢とまったくオーバーラップしてきます。
人間は歴史からあまり学ばないものですね。憲法問題も最近よく議論されますが、16年前はまだマスコミもそれほど取り上げない時代でした。
日本はこの15年でどのくらい変ったのか、日本の政治は、外交は?
それらを比べながら読むとかんがえさせられるものがあります。
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辛口ハーモニー(3)「人と違うことの素晴らしさ」
〜集団生活を行う場合に“和”は不可欠であろうが、その中でも必要とされるのが個性なのだ〜
S氏は昔からどちらかと言えば個性が強く、思っている事をはっきりと発言する方であり、あまり友人の多い方ではなかった。学校を出てある交響楽団にはいり指揮者として活躍を始めたのである。
指揮者というと一見“和”を重んじ、団体をうまく統一するのが仕事のように思われているが、それはあくまで音を構成する上の事であり、人間関係ではそうではない場合が多いようだ。あのカラヤンでさえ、ベルリン・フィルの楽団員をして“カラヤンはいずれ去るがベルリン・フィルは永遠である”といわしめたくらいである。“指揮者に最低限、要求されることは独善的で横暴であることだ”と言ったのは先日なくなったバーンスタインである。“指揮者というのは孤独な職業である”というカール・ベームの言葉を思えばS氏にはむしろこの仕事は向いていたように思える。
しかしS氏は日本を離れる決心をした。それは音楽的な行きづまりではなく、その背景にある日本の集団的協調性に対し、彼の個性がついて行けなかった事によるらしい。しかしそのS氏が持っている“個”が今日の彼をささえている事も事実である。芸術の世界にもある日本の“平均化”にS氏の個が埋没しなかった結果である。
このような例は化学、医学、スポーツとあらゆる分野で見る事が出来る。いわゆる才能の流出である。このことは言われはじめて久しいが、私の見る限り教育の現場において根本的な変化は見られない。
ある幼稚園の風景であるが、若い女性の先生が園児に話している。
「先生の言う事がわかりましたかタケシ君」
「ウン先生」
「“ウン”じゃないでしょ、ハイ、ワカリマシタ“でしょ。それではアキコちゃん」
「ハイ、先生」
「ちゃんとワカリマシタもつけましょうね」
「ハイ、先生ワカリマシタ」
変った答えはいけない。クラスの中ではみな同じように考え、同じように答えなければならない。
数年前、アメリカのテレビネットワークの取材班が日本の初等教育を取材した後のTVコメントである。
「彼らはまるで精密に設計され、磨かれた小さな歯車が正確に回転するように、教師の指導にしたがい、機敏に行動し、そして・・同じ・・よう・に答えるのであった」
差別、不平等をなくすという事は民主主義社会として当然の努力である。しかしそれは人間の均一化を図る事ではない。人間は個性を持って生まれてくる。個性とは人と違うということである。その生き方、考え方も人と違うからその人の価値が生まれる。
日本の社会も、画一的教育から脱し、“人と違う”という恐怖感をすて、人と違う“素晴らしさ”を教える時代に来ているのである。
<第3回・了>