都倉俊一
都倉ノートとは・・・?
音楽のことや、プライベイトなお話、時には時事ネタコラムまで、都倉俊一自身が日々を綴るBlog。

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2006.10.23 Monday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第3回 その2)

1991年 月刊『小説City』(廣済堂出版)に連載したコラムより
この記事についての説明は、9/11の −はじめに− をご覧ください

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辛口ハーモニー(3)「人と違うことの素晴らしさ」
〜集団生活を行う場合に“和”は不可欠であろうが、その中でも必要とされるのが個性なのだ〜

 戦後の二大奇跡と言われるドイツと日本の経済発展は、よく比較され、時に並列に考えられる。お互いにアメリカの唱える自由と平等をかかげ、それまでの軍事的独裁から脱して民主主義の道をあゆんだ。
 しかしこの“平等”という民主主義の基本的な考え方は、わが国とドイツではかなり違っていたようである。わが国も当然、戦後この西洋的思想を受け入れ、それを実践してきたのである。
 しかし日本は歴史的にも伝統的にも家族的集団社会であり“個人”という概念が存在しにくいことは専門でもない私がいまさら言うまでもない。何よりもまず集団の利を優先し、“出る釘は打たれ”、“角を立てずに丸く”生活することが基本であった。
 それに対し“平等”とはあくまでも個人主義が前提にあり、“個人”という考え方が確立していて始めて成り立つ。

 また“平等” ”equality”という意味も含まれる。戦後45年の歴史の中で今日の日本の社会の中に“平等”がいつしか、“平均”“真平ら”に取り違えられている部分が多く見られる。つまり、西洋的な“平等”の精神が日本の伝統的な集団思考をベースに理解され、いつしか“平均”を取ることが善であるというふうにおきかえられて来たように思えるのである。

 確かに現在の我が国ほど貧富の差がなく、人種的、文化的争いにも縁がなく、あらゆる面で平等な機会を与えられている国は世界でも珍しい。しかしあまりにも上下、左右の差がなく、すべてある一定のワクの中におしこめてしまうと、その社会はある種の柔軟性を失う。人間の本能的な競争心、闘争心がそがれ、活力を失う。無気力な硬直した社会になってしまう。今日見られる社会主義諸国の崩壊がそれを示している。

 それと我が国を同列に考えるわけにはいかないが、日本で見られる中身のない高学歴社会、“出る釘は打たれる”式教育、社会制度は実に、伝統的な集団思考と、西洋的“平等”思想の折衷案的産物であり、これが今日の社会構造の平均化現象を、ますます進めているのである。
 私の友人で指揮者のS氏は現在ヨーロッパを中心に活躍している。日本を離れて早、20年だそうである。

 音楽を志す者にとってヨーロッパはやはり本場であるが、S氏の日本を離れた理由は少し違っていた。今振り替えれば彼の決断は大成功であったわけだが、20年前日本を出発する時は、傷心の出発であったらしい。

次回へ続く


2006.10.16 Monday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第3回 その1)

1991年 月刊『小説City』(廣済堂出版)に連載したコラムより
この記事についての説明は、9/11の −はじめに− をご覧ください

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辛口ハーモニー(3)「人と違うことの素晴らしさ」
〜集団生活を行う場合に“和”は不可欠であろうが、その中でも必要とされるのが個性なのだ〜

1967年、東京の日生劇場でベルリン・ドイツオペラの来日公演があった。当時ベルリン留学から帰国したばかりの私は通訳として雇われることになった。

 世界屈指のドイツオペラの公演でもあるし、ベルリンへのなつかしい想い出もあり、大学生であった私は採用が決まって大喜びであった。
 この時の来日メンバーは、最盛期のフィッシャー・ディスカウ、ソプラノのピラール・ローレンガー、指揮は、オイゲン・ヨッフム、ローリン・マゼールというそうそうたる顔ぶれであった。特に私はベルリン時代からの大ファンであった、フィッシャー・ディスカウの通訳につけないものかと密かに期待をしていたのである。

 通訳人は総勢25名。当時としてはかなりの高給であったせいか、大学教授クラスの方々もアルバイトとして参加されていた。
 それぞれの配置がすんだところで問題が起きた。有名ソリストやオーケストラ、事務局等の通訳にはさして支障はなかったのではあるが、大道具や衣装、職人の人々との意思の疎通がかんばしくないということである。どうやら通訳に問題があるらしい。
 その部署は某大学の講師をされていた方が担当されていたが、それなりのドイツ語を話す方であった。つまり彼らには絵に描いたようなベルリン方言しか話せないのである。
 ベルリンという都市は旧ドイツ帝国の首都であり、世界有数の大都市であったにもかかわらず、そこで話す言葉は方言とされていた。これは、ドイツ統一までの歴史によるものでもあろうし、ヨーロッパ王室の歴史にもかかわってくることでもあるが、ドイツのいわゆる標準語(ホーホ・ドイチェ)と言われるものは伝統的に、ニーダーザクセン州の州都であるハノーバーで話されるドイツ語とされている。
 ドイツではある程度の高等教育をうけた者はその出身地の方言と、この標準語を使い分ける。逆にこのホーホ・ドイチェを話せない人はあまり高等教育、つまりギムナジウムや大学教育を受けていないことがうかがえる。
 しかしその学校教育と、その人の持つ技術力(多くの場合は職人に見られる)、社会的地位、収入とは必ずしも一致しないのである。
 ドイツでは世界にも有名なマイスター制度というのがある。このマイスターになるために国家試験に受けることは至難の技であるという。このマイスターとはその人の学歴とは関係なく、バイオリン職人からコックにいたるまであらゆる業種においての熟練者に与えられる資格であり、大きな力、社会的地位を保証される。
 マイスターの下にはレアリンと呼ばれる準マイスターがおり、その下に時には何千人もの弟子を抱える職人としてのピラミッドの頂点に立つのである。
 このようにドイツでは社会の中でのその人の重要性と、受けた学校教育とは必ずしも一致しない。これはドイツ社会の持つ素晴らしい柔軟性であり、今日大きなエネルギーとなっている。
 かくして通訳人25人の中で唯一ベルリン方言の話せる私がそれまでのオーケストラ担当をはなれ、ありがたくも、職人さん達の担当となった。せっかく買ったスーツを脱いで、ジーパンに履き替え、それ以後60日間、劇場の奈落での生活がはじまったのである。

次回へ続く

2006.10.11 Wednesday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハーモニー(第2回 その3)

1991年 月間『小説City』(廣済堂出版)に連載したコラムより
この記事についての説明は、9/11の −はじめに− をご覧ください

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 素人の時代といえば、日本の国政政治、国際交流に対する認識、知識は素人の代表選手といえる。特に日本の政治家の国際御地、素人ぶりには、今度の中東問題であまりにはっきりとあらわれたようだ。特に安全保障という問題に関しては、政官民、総素人という感は否めない。
 どこかの野党がその昔、バイブルのように提唱していた非武装中立論から、最近の中東に派遣するマンパワー・自衛隊の議論まで、およそ国際社会の大人の論議からは、ほど遠いものである。
 国会では、やれ憲法違反だ、イヤ合憲だと家庭の事情に全神経を集中し、中東派遣法案が廃案になった事で野党は鬼の首を取ったように得意顔である。その間に世界はどんどん動いていってしまう。しかもその議論の間にイラク、クウェートの在留邦人を・・どう・・する・かという、具体的、効果的対策はまったく出ずじまい。

 いや、・・どう・・・すれば・・よい・の・か、がまったくわからない。日本が国際問題に巻き込まれたときの対応がまったくわからないわが国の政治家は、なすすべがない、というのが事実のようだ。
 日本の国際関係の前提は、人の善意というものをあてにした上に成り立っている。日本人はどこかに“われわれだけは特別”と思い込んでいるふしがある。これはわが国の文化の根底にある“甘え”という考え方なのである。何億円を積んだ車のガードマンもおよそ武器らしいものは持たず、連日のようにホテルやデパートで開かれている豪華な宝石や絵画の展示会も無防備同然である。日本人にとって世の中の人は皆“いい人”なのである。

 突然イラクの”悪い人”が日本人を人質に取るとわれわれは”どうして”とわからなくなる。わからないから、大人であるアメリカに理由を聞くと、「世の中には悪い人がいるんだよ。これが君たちが知らなかった大人の世界なんだよ」と教えてくれる。
 デモ「君はお金持ちの子なんだから少しお金を出しなさい」と言われる。すると日本は「わかりました。お金は出します。だからあとはやって下さいね。うちは家がきびしくて外に出られないから」となるべく家からでないようにする。

 十二月初旬に大阪での街の様子がテレビで紹介されていた。戦争に反対する婦人会が”日本の中東派遣に反対”という青い羽根運動をしていた。それに参堂しているという主婦に街頭インタビューすると、「戦争はイヤですね。なんでこんなに豊かで平和な日本があんな遠い所まで行って戦争に参加しなければならないのでしょう」と言っていた。
 これでは議論にならない。
 人質から解放された人たちの成田での会見が印象的であった。一番不安だった事は何ですか、という問いに、「日本政府の態度が日本人のわれわれにもよくわからなかった。日本の国が国際社会で早く、大人の会話が出来るようになってほしいと思う」
 つまり、日本政府の国際社会においての無力さをつくづく感じたというのである。
 日本は多民族社会が生み出す多様な価値観にまったく無知である。コミュニケーションの方法すらわからない。地球自体が1つの多民族社会であり、そこから生ずる様々な問題の中に世界中に進出している日本人は好むと好まざるとにかかわらず、巻き込まれる宿命にある。
 これらの人々を守るべきは、日本政府であり、こればかりは“素人の時代”などと言ってられない。どうにかしなければ日本の将来は大いに不安である。 

<第2回・了>

2006.10.02 Monday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハーモニー(第2回 その2)

1991年 月間『小説City』(廣済堂出版)に連載したコラムより
この記事についての説明は、9/11の −はじめに− をご覧ください

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 私の古くからの友人であるレコード会社の役員がいる。かつて70年代から80年代にかけて、一緒に多くのヒット曲を作ったものであるが、彼は現在もっぱら経営者としてその手腕を発揮している。
米国のレコード会社にはA&R部門というのがあって、日本ではこれを製作部と呼んでいたのであるが、最近、私のその友人の会社でA&R部というものを設けたそうである。

A&Rとは、アーティスツ・アンド・リリース。Artists and Release の略である。文字通り、アーティストを発見、管理し、そのレコードを発売する部門である。
 50年〜60年代の米国や、つい最近までの日本のレコード会社の製作部ディレクターの仕事とは、アーティストを発見し、育て、そのレコードを発売する、というものであった。ところがこの“育てる”事をなるべくはぶき、素材のまま一般大衆にその良さを聞いてもらおうというのがこのA&Rのねらいである。

 確かに昔のレコード会社には、自分の趣味だけを押し付け、やたらに権威をちらつかせるディレクターが横行した時代もあり、レコードデビューするチャンスは、きわめて限られていた。
 その点、今はこれだけレコード会社の門戸が開け、また、それだけ巷に才能や実力のある“素人”が増えたせいもある。そういう人に、どんどんレコードデビューのチャンスを与える事は結構な事である。しかしそれだけでは、多少不安を感じる。

 アメリカでは70年代以降、それまでサラリーマンであったプロデューサーが独立し、高い印税を取る、インディペンデント・プロデューサー(独立プロデューサー)として存在し、彼らが、素人バンド、歌手を発見し、音源を完成し、レコード会社のA&Rに売り込む。
 つまり音作りには、経験を積んだプロの手が十分にはいっているわけである。このインディペンデント・プロデューサーのシステムが確立していない日本においては、ただ、うたのうまい素人の音楽が、あまりにも気軽に商品として出まわる、という危険性もはらんでいるように思う。

 しかしこういう議論は甚だ体制的であり、あまりウケない。大衆芸術はいつも新しいものを求め、常に受け入れる。新人の“素人らしさ”は“新しさ”であり、新しさは必ずレコード売上げにつながる。レコード業界はいま“素人の時代”まっさかりなのである。

次回に続く