都倉俊一
都倉ノートとは・・・?
音楽のことや、プライベイトなお話、時には時事ネタコラムまで、都倉俊一自身が日々を綴るBlog。

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2006.09.28 Thursday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハーモニー(第2回 その1)

1991年 月間『小説City』(廣済堂出版)に連載したコラムより
この記事についての説明は、9/11の −はじめに− をご覧ください

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都倉俊一の辛口ハーモニー(第2回)
「素人の時代」
〜わが国の文化の奥底に潜む“甘え”の構造を崩さない限り、日本の将来は明るくはない!?〜

 先日、実に久しぶりに知人である萩本欽一氏と対談する機会が会った。萩本氏はその昔、私が“スター誕生”というオーディション番組の審査をしていた頃、その司会者をしていて、もう十数年のおつき合いである。

 萩本氏はコメディアンと言うだけではなく、ここ十数年、テレビ番組の構成、演出者としても縦横無尽の活躍をしていたが、ここしばらくはあまりブラウン管の方ではお見かけしなくなり、淋しく思っていた所である。

 氏にその事を聞くと、
「イヤ都倉さん、これは私も大いに責任がある事だが、あまりにTVに素人が登場しすぎて、オモチャのようになってしまいましてね……」
 という事であった。

 昭和50年頃から、それまでいわゆるプロの領域であったテレビという媒体にどんどん一般視聴者が参加するようになった。時には公開録画の時に会場からお客を突然登場させたり、一般募集で出演してくる若者を一夜にしてアイドルにしたて上げるとか、お茶の間とテレビを近づけるという点では大成功であった。

 しかし萩本氏曰く、自分が意図している方向に番組が向けば向くほど、自分自身が一歩画面から引くようになり、いつしか後ろの方で彼らを見守っている役目を果たしている自分に気がついた、という事である。

 つまり、いつしか番組で自分のおもしろい“芸”を見せるのでなく、おもしろい“企画”を見せる。そしてその企画の基本には、素人を登場させ、“親しみ易い番組にする”という事があったわけだ。
「私は浅草時代から体で“芸”を覚えて来たのだが、テレビではとうとうその“芸”を見せる場がなくなって来た」と氏は言う。
かくして萩本氏は現在すこし頭を冷ますため、舞台の方に燃えているという事である。

 確かに現在のTVバラエティ番組を見ていると、われわれは彼らのおかしな“芸”を見て笑うのではなく、おかしな“人”を見て笑っている。
つまり素人でもうまれつきユーモアのセンスを持っている人が、パッと画面に現れ、そのおもしろいパーソナリティに対してわれわれも好感をもつ。自然、そのパーソナリティに飽きると、おかしくも何ともなくなり次を捜す。現在のテレビ番組のいれ変りのはげしさには、目まぐるしいものがある。

“芸”であれば、その技術を磨くことによりどんどん、おかしさも変化してゆくが、おかしな“人”は飽きられてしまえば終わりである。しかし、これも現代のテレビが持つ、情報の大量伝達の一環であるサービスの大量供給という宿命かもしれない。

次回に続く

2006.09.20 Wednesday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハーモニー(第1回 その2)

(この記事についての説明は、9/11の −はじめに− をご覧ください)


 今の日本に最も必要なことは、新しい世界の変革の中に身をおく前に、この戦後の激動の45年を振り返り、我々はどこから来たのか、今、新しい時代を迎えるにあたり、何を捨て何を残すべきなのか、真剣に考えなければならない時に来ているのである。

 憲法論議から教育問題まで、現在、迷路にはいり込んでしまっているあらゆる問題は、この日本人の意識、つまり本音の部分を考えなければ絶対に解決しない。ここでほんの少し政治家やお役人さんも発想の方向を変えて見てはいかがか? 私の本職の音楽の話であるがこういう話はどうであろう。

 日本をはじめとする東アジア民族は古来、5つの音で音楽を作ってきた。いわゆる5音階音楽(ペンタトニック)である。日本においては明治以後、西洋的12音階が輸入され、文明開化とともに大いに奨励され今日にいたっている。しかし音楽とは文字通り、音を楽しむ事であり、その民族が長年、培って来た音に対する快感は一晩で変るわけにはいかない。

 確かにヨーロッパから輸入された音楽は長い間の研究により5音階音楽よりはるかに表現力が豊かであり、学問的に確立されていた。まず一番の違いは音楽にメロディー、リズム、ハーモニーの3つの要素を確立した事である。日本では特に3つ目のハーモニーという音の概念がよわく、今日においてもその部分が作品的弱さと指摘される事が多い。

 またメロディーにおいて多くの日本人の快感を呼ぶのはドレミでいえば、“ファ”と“シ”を抜いた音階であり、これが4つ目と7つ目の音であることから“ヨナ抜きメロディー”とも呼ばれる。

 諸兄が、カラオケで楽しまれる演歌にこの音階がよく使われている。それでは演歌は日本音楽か?というと、そうではない。作者の作曲時の概念も、メロディー以外の音楽発想も、リズム、ハーモニーをともなった明らかな西洋音楽型式なのである。
 つまり演歌とは西洋音楽なのである。しかし、ここに、作曲がコンピュータの参入できない数少ない領域で理由があるわけで、形式、ツールとして西洋音楽を使っても、それで音の快感を追求してゆくと、どうしてもそこに民族的象徴が表れる。

 筆者がいろいろな国際音楽祭に行っても、これは各国の作曲者の作品に表れる特徴である。演歌の場合がそれが“ヨナ抜きメロディー”なのである。
 この音楽的特徴は日本の社会をよく表していると思う。つまり明治以来、欧米文化を必死に取り入れ、特に戦後、文化、芸術はいうに及ばず、社会制度から生活習慣まで、脱亜入欧をはかってきた日本である。

 そして現在あまりにも多くのものを無条件で取り入れ、それが我々の社会の中で混在し、誰も何の疑問も持たずに和洋折衷の、新しい価値観として定着しようとしている。外見、つまり形式的には、今や日本で日本的なものを見つけるのは甚だむつかしい。
 衣・食に関しては、ヨーロッパより、はるかに贅沢であり、住宅の広さは論じようがないが、世界で最も発達した、テクノロジーを駆使した生活を送っている。そんな西洋化した日本人だが、ひとたび行動を起こすとあまりにも日本人的である。

 海外旅行から社員研修まで、集団行動、集団思考が基本である。入学式から結婚式まで、ぜいたくにはなったが、30年前とやっている事はあまり変っていない。和を重んじ、なるべくはっきりものは表現しない。
 つまり表面的には、どのように見えようと、日本人は表層心理では相変らず、ヨナ抜きメロディーを歌っている事に気がついていないからである。

 くり返しになるが、変化する事は、失う事、時に捨てる事である。われわれが気がつかないで歌っているヨナ抜きメロディーもあるし、わざと歌わなくなったメロディーもあるかもしれない。
 しかし一番こわいのは、われわれ日本人が、気づかずにわすれてしまったヨナ抜きメロディーがあるとしたら、そこには形式だけの西洋音楽しか残らない。戦後45年、われわれ日本人のメロディーをひとつひとつ検証するべき時代にきている。
<第1回・了>

2006.09.11 Monday
【Works】 最新楽曲 『心の傷あと』 視聴開始!

都倉俊一の最新楽曲が、まもなくiTunesにて配信開始となります。

『心の傷あと』 Featuring GATS
作詞:山上路夫
作曲/編曲:都倉俊一
歌:GATS

iTunesでの配信に先立ち、「dmw-でみゅ」にて、先行視聴開始!

iTunesでの配信日程は、決まり次第お知らせいたします。

♪News from STA♪

2006.09.11 Monday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハーモニー(第1回 その1)

−はじめに−

最近の世情を見ると、靖国問題をはじめ憲法改正問題など、戦後の歴史認識を論ずる風潮が感じられ、遅きに失した感はあるが結構なことだと思うのである。それに続いてやはり避けて通れないのが戦後日本人はどのように変わってきたか、戦後の教育はどんな日本人を作ってきてしまったのかと言う事を検証することである。
これから数回に分けてこのブログに掲載するコラムは、実は今から15年前の1991年に小生が月間『小説City』(廣済堂出版)に連載したコラムの抜粋である。まさに上記の様なことをテーマにしているのであるが、いま読んで感じることは15年たっても日本の社会や政治に対する疑問は同じだなと言う事、つまり日本の社会があまりこの15年で進歩してきたとは思えないな、と言うことである。
事象、固有名詞は、たとえばブッシュ大統領といえば父親の方のブッシュであるように15年前の物として読んでいただきたい。

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都倉俊一の辛口ハーモニー(第1回 その1)
ヨナ抜きメロディーを歌おう


物を作る事を職業としている者は大体世の中を疑問視して生活していることが多い。規制事実に疑問を持たなければ“新しい創造などできない”などと勝手に思いこんでいるふしもあるが、大体において探究心、好奇心が旺盛でおせっかいなのであろう。そんな能力をフルに発揮してこのコラムを今月から担当させていただく事になった。

 現在の日本社会において、わが好奇心をそそる題材には事欠かない。第一稿として何を書こうか迷ったが、結局、漠然としているが、“戦後日本人の意識”という所から筆を進めようと思う。何故ならこれが今日の政治、社会的問題の根底にいつも存在しているからである。

 ここでいう“戦後日本人の意識”とは戦後45年間で作り上げられた日本人の意識であり、深層心理とは別の二重構造になっている所に今日の特殊性があるように思う。つまり、戦後45年間、“われわれはこうするべきだ”と思いつづけてきた事に対する矛盾が、今、日本の社会のあらゆる所から噴出してきているのである。

 結論からいえば、勤勉な工業立国、戦後の先進民主主義というワクの中に、無理矢理はめこんでしまったため、あまりにも人工的な日本人意識ができ上がってしまったのである。自分達も、それに気づいていないため、矛盾が露見して問題がおきると、“何故”ばかりである。これは今後取り上げるが、教育問題から貿易摩擦、原子力問題から、憲法問題にまで及んでいるように思う。

 戦後の45年という年月は、日本史において、実に特殊な時代なのである。今でこそ“世界の中の日本”などといえるわけだが、昭和20年代においては、それこそ世界の中に日本という国が残れるかどうかという時代であった。当然日本人は自らの生存という課題を背負って歩きはじめたわけである。

 もちろん、物を選べる立場にあるわけではなく、はじめての異民族、異文化の占領で日本はただ生存する目的のため、あらゆるものを拒まず受け入れ過去を否定し、前だけ見て進んできたのである。そして功なり名を遂げ、昭和が終り、平和に入った現在、いざ、“世界の中の日本”と唱えても、何故か空虚に響く。

 まわりを見まわすと、先進諸国から異質者扱いされ、明治以来、脱亜入欧主義をかかげるが、欧米からは仲間にいれてもらえず、時におそれられ、不思議がられ、少々尊敬されるかと思う矢先、やっかまれ、働きすぎだ、物を売りすぎだと攻められる。“じっと我慢が、わが美徳”と弁解しなければならない。しなければ誤解される。

 それならと口を開くとやれオゴルな、タカブルな、軍国主義復活とまでいわれる。結果当然、気持ちは内へと向き、お互いをなぐさめる。“オレ達がなにをした?”“でも、オレ達お金持ちだよね”と小声でささやき、まわりを見ると、満員電車とウサギ小屋。

 何故これほどまでに理解されず、異質者扱いされるのか?確かに日本人の文化、慣習はユニークには違いない。しかし、それをいうなら世界には、その民族独自の文化が無数にあり、どれも特殊性は持っている。それだけをとって“異質者”と見られる理由にはならない。

 ここで“異質な文化”と“異質者”は区別しなければならない。国際社会とは、異質な文化の集まりであり、お互い異質さを理解しようと努めて、成り立っている。しかしこの論理は、自分が他と“どう異質なのか”を理解していないと成り立たない。

 戦後すぐには“たてまえ”として取り入れた西欧的社会システム、考え方がいつしか、本音なのかたてまえなのかわからなくなってしまった。

 日本人の考え方、哲学は?日本の社会的伝統、美しさは?こういうことを自ら失いかけている日本人が、世界の人々に自分達の考え方を伝えられるはずがない。
 “日本はどこへ行く”という最近はやりのスローガンを問う前に“日本はどこから来た?”をまず先に問い、思い出すべきなのである。

 明治の文明開化に、日本人は痛いのを我慢してクツをはいた。クツをはく事が文明開化の象徴であった。今日、若者は痛くてゲタがはけない。子供達の足の親指と人差し指との間にわが世代のようなスキ間はもはや無いのである。わが日本男児の象徴ともいうべき、ダンビロ、コウ高の足が日本から消えようとしている。

 戦後の日本人は体型まで変わってしまった。今さらこの和洋折衷現象を否定したり嘆いてもあまり意味がない。もはや戦後日本に定着した欧米的思考は否定のしようがない。今やまったく新しい日本的価値感が定着しつつあり、これが日本の今日的スタンダードなのである。

 しかし物にはくぎりがあるわけで、誰でもある時、今の自分を見る時、過去を振り返らなければならない。特に戦後の日本のように猪突猛進して来たものはなおさらである。“変化”するという事は元来、自分の持っていた物を失う、時には捨てる事である。

次回に続く

2006.09.04 Monday
【おぴにおん】 みんなで唄える歌がない(7)

 今回の随想のコラムを書かせて頂くにあたり、上記のタイトルで終始させていただいた。
 「みんなで唄える歌がない」とはある意味では日本人の価値観が多種多様になり、かつての同一思考的国民性からの脱却が鮮明になったという意味もある。しかし果たして全てがそうなのか。

 日本では古来、音楽の基本概念は北東アジア地域の特徴である単調5音階音楽であった。俗にヨナ抜き節といい、ドレミの4つ目のファと7つ目のシの音を抜いた5つの音から成り立つ音階である。常磐津、長唄、都々逸から日本全国の多くの民謡、演歌や歌謡曲、果ては相撲の呼び出しから町の金魚売りの声までこの音階である。

 音楽とはその人間がいかにその音から快感をおぼえるかであり、この快感はその民族の成り立ちや環境などによりそのDNAにインプットされたもので理屈ではない。ある意味では「音楽に国境はない」というのは必ずしも事実ではない。明治の文明開化期から百数十年、西洋音楽は日本の土壌に同化し現在に至っているが、今だに日本人はその音つくりのどこかに5音階思考が強い。これは10代の若者にも通じる事で人間のDNAはそう簡単には書き換えられないらしい。

 最近世間を騒がしている商取引や制度において見られるように、首から上で考える欧米的な理屈や合理性が新しく絶対である様に確信し突き進む若い世代はいつの時代にもいる。しかし彼らもそこで少し立ち止まり自分のDNAの云うことを聴いてみることも必要である。もしかして心のどこかで日本人が昔から大切にしてきた思いやりや礼節、忠孝、潔さ等に美しさを感じる事がないのか。みんなが理屈抜きに5音階メロディーに何か安らぎを覚えるように。

【神戸新聞 2006年4月14日(金) 「随想」掲載 全7回シリーズ】