都倉俊一
都倉ノートとは・・・?
音楽のことや、プライベイトなお話、時には時事ネタコラムまで、都倉俊一自身が日々を綴るBlog。

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RESCENT ENTRIES

MONTHLY ARCHIVES

2016.10.20 Thursday
【Works】 TBSラジオ「有馬隼人とらじおと山瀬まみと」に出演

TBSラジオ「有馬隼人とらじおと山瀬まみと」にゲスト出演いたします。

「有馬隼人とらじおと山瀬まみと」オフィシャルサイト

放送日時: 平成28年10月21日(金曜日)
        TBSラジオ 8:30〜11:00「有馬隼人とらじおと山瀬まみと」  
        の中で 10:00頃からのゲストコーナー

是非、お聞きになってみてください。

2016.09.27 Tuesday
【Works】 TBSラジオ「橋幸夫の地球楽団」にゲスト出演いたします

TBSラジオ「橋幸夫の地球楽団」にゲスト出演いたします

   放送日時  平成28年10月2日(日)
           平成28年10月9日(日)

          TBSラジオ 夜10:00〜10:30
          TBC東北放送 夜9:30〜10:00

   「橋幸夫の地球楽団」のサイトにて同日10:30〜配信されます。
    ぜひ ご覧ください。
          

2016.06.29 Wednesday
【Works】 BS-TBS 番組出演のお知らせ

BS−TBS 「Time is Life〜トキメキの時〜」 に出演いたします。

   放送日程  弟1回  2016年7月5日 (火曜日) よる8:54〜9:00
          第2回  2016年7月12日(火曜日) よる8:54〜9:00
          弟3回  2016年7月19日(火曜日) よる8:54〜9:00
          弟4回  2016年7月26日(火曜日) よる8:54〜9:00

ぜひ ご覧ください!

2016.05.09 Monday
【Works】 5/10  BS11「報道ライブINsideOUT」に生出演

BS11 「報道ライブ IN side OUT」 にゲスト出演いたします。

  放送日時 : 5月10日(火曜日)
         22:00 〜 22:54

  生放送です。 ぜひご覧ください!

2016.04.28 Thursday
【Works】 4/29 ラジオ NHK-FM の番組にゲスト出演

NHK-FM 「今日は一日戦後歌謡三昧」にゲスト出演いたします

    放送日時 : 2016年4月29日(金・祝)
         
    番組の放送は、午後0時15分から10時45分まで
    都倉俊一の出演は、午後7時20分頃からの予定です。

    ぜひ、ご覧ください!

2015.12.03 Thursday
【Works】 産経新聞のオピニオンサイトに掲載

産経新聞のオピニオンサイト「iRONNA(いろんな)」に、

「戦後70年に際して、思うこと」が掲載されました。


“ピンク・レディーが日本人の音楽体験を変えた”


是非ご覧ください。

2015.01.23 Friday
【Works】 BSフジの番組に出演します

BSフジ 「その時私は」に出演します

放送日時 平成27年1月24日 (土曜日) 

 BSフジ  午前7:01より

是非ご覧ください。

2014.08.07 Thursday
【Works】 8/16 TV東京の番組に出演いたします

TV東京「週刊ニュース新書」に出演いたします

放送日時   平成26年8月16日(土)
テレビ東京 11:30 〜 12:05

是非ご覧ください。

2014.04.02 Wednesday
【Works】 TOKYO FM「ワールドクルーズ」に出演します

TOKYOFMラジオ 「ワールドクルーズ」にゲスト出演いたします
 
       ワールドクルーズのサイトはこちら

 放送は平成26年4月5日(土)より 4週にわたって毎週土曜日12:00〜

                     TOKYO FM
  
                   是非お聞きください!

2013.12.03 Tuesday
【Works】 12/10 NHKラジオ「すっぴん」にゲスト出演いたします

      NHKラジオ 「すっぴん」オフィシャルサイト 

        NHKラジオ第一放送 「すっぴん」 

        放送日時    平成25年12月10日(火)8:00〜11:50  
       
            都倉俊一の出演は10:05頃から11:15

ぜひお聞きください。

2013.11.11 Monday
【Works】 月刊誌「日本の息吹」インタビュー記事掲載

月刊誌「日本の息吹」(2013年9月号)に、「戦時加算」と「海ゆかば」と題し、今までもお伝えしてきました日本がおかれている著作権に関する状況がわかりやすいインタビュー記事が掲載されています。

2013.11.11 Monday
【Works】 新国立競技場

新国立競技場構想に際し、2012年3月より国立競技場将来構想有識者会議委員に、2012年5月に国立競技場将来構想ワーキンググループ施設利活用(文化)グループ座長に、そして2012年10月には新国立競技場基本構想国際デザイン・コンクールの審査委員に就任し、建築デザインを決定にも関わってきました。

国立競技場は、2014年7月から解体を予定しており、その後新国立競技場は、2019年3月完成を目指しています。
スポーツのみならず、多岐にわたるエンタテイメントの利用を考慮し、音響をはじめ様々なニーズに対応するため、優れたブレインが集結し、構想中です。

2013.11.11 Monday
【Works】 NHK総合テレビドラマ10 「ガラスの家」の音楽を担当

NHK総合テレビドラマ10 「ガラスの家」の音楽を担当いたしました。
(放送2013年9月3日(毎週火曜)〜9回に渡り放送)

作曲のみならず、都倉がオーケストラを指揮し録音した曲が劇中に使われています。
メインテーマ「ガラスの家」の他、「断崖の二人」、「禁断の愛」「幸せの価値」などM35を作曲。

  キャスト:井川 遙、斎藤 工、永山 絢斗、藤本 隆宏、片岡 愛之助 他
  脚本:大石 静

     「ガラスの家」オフィシャルサイト

この作品はNHKオンデマンドでもご覧いただけます。

     NHKオンデマンド「ガラスの家」

是非、ご覧ください。

2013.06.21 Friday
【Works】 NHK「SONGS」に出演します

NHK総合テレビ 「SONGS」 に出演いたします。

6/29(土) 高橋真梨子さんご出演の回にゲスト出演いたします

 「SONGS」オフィシャルサイト

6月29日(土) 午後11:00より  NHK総合テレビ

2013.05.24 Friday
【Works】 5/26 TOKYOFM「小田全宏のアクティブ夢講座」に出演します

TOKYO FM ラジオ 「小田全宏のアクティブ夢講座」に出演します

放送日時  平成25年5月28日(火)
        午後4時から  TOKYO FM
(全国コミニュティFM)

2013.05.10 Friday
【Works】 TBSテレビ「もてもてナインティナイン」に出演いたします

TBSテレビ「もてもてナインティナイン」にゲスト出演いたします

    「もてもてナインティナイン」オフィシャルサイト

    放送日時:2013年5月14日(火)
           TBSテレビ 午後7:00〜7:56

ぜひ、ご覧ください。

2012.10.02 Tuesday
【Works】 古事記1300年記念新作能「出雲篝舞台」に楽曲提供

「〜古事記1300年〜」を記念して、2012年11月8日、能楽とクラシック音楽のコラボレーションによる舞台「出雲篝舞台」が上演されました。オープニング音楽抄「はるか、遠くが見える」の作詞・作曲を手掛けました。

     テノール   高野二郎 
     ソプラノ    清水菜穂子  
     チェロ     上野通明
     琵琶奏者   須田誠舟

2012.01.24 Tuesday
【Works】 1/29 NHK BS プレミアムの番組にゲスト出演いたします

NHK BS プレミアム、「昭和の歌人たち〜阿久 悠」にゲスト出演しました。


   放送日時:  2012年1月29日(日)

          BS プレミアム 夜7:30〜9:00


【STA】

2011.12.03 Saturday
【Works】 「テリー伊藤の月に吠えろ」に2週に渡って出演

BSイレブン、「テリー伊藤の月に吠えろ」に2週に渡って出演いたします。

    「テリー伊藤の月に吠えろ」オフィシャルサイト

   放送日時:  2011年12月28日(水)
           2012年 1月 4日(水)

          BS11 夜11:00〜11:30
お楽しみに!

【STA】

2011.12.03 Saturday
【Works】 12/25(日)NHK BSプレミアムで都倉俊一の特集番組

12/25(日)にNHK BSプレミアムで都倉俊一の特集番組が放送されます!

       ザ・ヒットメーカー 『作曲家・都倉俊一』

   放送日時:  2011年12月25日(日)

          NHK BSプレミアム 午後7:30〜9:00

           (再放送:2012年1月2日(火)午後5:30〜)

              NHK BS オンライン

ぜひご覧ください。

【STA】

2011.12.03 Saturday
【Works】 今週と来週、TBSテレビ「Asian Ace」に出演致します。

今週と来週、TBSテレビ「Asian Ace」にジャッジとして出演致します。

    「Asian Ace」オフィシャルサイト

   放送日時:  2011年12月 3日(土)
           2011年12月10日(土)

          TBSテレビ 深夜0:00〜0:30
  
お楽しみに!

【STA】

2011.08.05 Friday
【Works】 8/6(土)ラジオの生放送に出演!

明日、2011年8月6日(土)、文化放送の番組「みのもんたのウィークエンドをつかまえろ」に生出演致します。

    「みのもんたのウィークエンドをつかまえろ」オフィシャルサイト

   放送日時:ラジオ 文化放送 2011年8月6日(土)
          午後1:00〜午後3:00

  
お楽しみに!

【STA】

2011.03.25 Friday
【Works】 3/26 BSフジ「あの時この曲」に出演!

2011年3月26日(土)放送の新番組「あの時この曲」の第一回ゲストで出演致します。

      「あの時この曲」オフィシャルサイト

   放送日時:BSフジ 2011年3月26日(土)
          午後10:30〜午後10:55

  
是非、ご覧ください。

【STA 担当:T】

2011.03.12 Saturday
【Works】 3/19「どれみふぁワンダーランド」に出演!

2011年3月19日(土)放送の「どれみふぁワンダーランド」に出演致します。

      「どれみふぁワンダーランド」オフィシャルサイト

   放送日時:NHK BS2 2011年3月19日(土)
          午後10:00〜午後11:00

  
是非、ご覧ください。

【STA 担当:T】

2010.12.20 Monday
【Works】 12/24「NHK音楽祭2010ハイライト」に出演!

2010年12月24日(金)放送の「NHK音楽祭2010ハイライト」に出演致します。

                NHK番組表

   放送日時:NHK教育 2010年12月24日(金)
          午後11:00〜25日午前2:13(193分)

  
是非、ご覧ください。

【STA 担当:T】

2010.11.30 Tuesday
【Works】 NHK「視点・論点」に出演!

明日、2010年12月1日(水)に、NHK「視点・論点」に出演致します。

                視点・論点 オフィシャルサイト

   放送日:2010年12月1日(水) NHK教育 22:50〜23:10
   再放送:2010年12月2日(木) NHK総合 朝 4:20〜4:50
  
是非、ご覧ください。

【STA 担当:T】

2010.05.21 Friday
【Works】 ニコニコ動画 2nd season!

2010年5月22日土曜日、インターネット、ニコニコ動画の「ニコニコ生放送」で放送されている、音楽オーディション番組

             ニワンゴ+247Music
     「ニコ生☆生うたオーディション
           〜注文の多い音楽祭〜2nd season」

が、放送されます!!

        ニコ生☆生うたオーディション 2nd season

          5月22日(土)  15:00スタート!!

        
     詳しい情報は、ニコニコ動画のサイトにてご確認ください。
 

      〜注文の多い音楽祭〜 特設サイト


【STA 担当:T】

2010.02.18 Thursday
【Works】 ニコニコ動画オーディション ファイナル生放送!!

2010年2月19日金曜日、インターネット、ニコニコ動画の「ニコニコ生放送」で放送されている、音楽オーディション番組

             ニワンゴ+247Music
     「ニコ生☆生うたオーディション 〜注文の多い音楽祭〜」

が、いよいよファイナルを迎えます。都倉は審査委員長として出演いたします。

        ニコ生☆生うたオーディション ファイナル

          2月19日(金)  19:00スタート!!

        
     詳しい情報は、ニコニコ動画のサイトにてご確認ください。
 

      〜注文の多い音楽祭〜 特設サイト


【STA 担当:T】

2010.01.13 Wednesday
【Works】 NHK「わんにゃん茶館」出演!!

2010年1月14日(木) NHK BS2 「わんにゃん茶館」に出演致します!!


                わんにゃん茶館

       放送日:2010年1月14日(木) NHK BS2 20:25〜20:50
   再放送1回目:2010年1月18日(月) NHK BS2 9:00〜9:25
   再放送2回目:2010年1月21日(木) NHK BS2 23:45〜24:10 
  
 
今回は都倉の愛犬2頭も出演致します!!

お楽しみに!


【STA 担当:T】

2009.10.16 Friday
【Works】 ニコニコ動画オーディション 第二回放送!

今週日曜(10/18)、インターネット、ニコニコ動画の「ニコニコ生放送」で放送される、音楽オーディション番組

        ニワンゴ+247Music
   「ニコ生☆生うたオーディション 〜注文の多い音楽祭〜」

に、審査委員長として出演いたします


        ◆第2回放送(1次予選A)◆

       10月18日(日)  19:00〜(約1時間半)

           ニコニコ生放送にて。


     詳しい情報は、ニコニコ動画のサイトにてご確認ください。
 

      〜注文の多い音楽祭〜 特設サイト


【STA 担当:T】

2009.09.16 Wednesday
【Works】 半田健人のオールナイトニッポンに出演決定!

         ☆緊急告知!☆
 
今週土曜(9月19日)深夜に放送の「半田健人のオールナイトニッポン」に
出演することになりました。
 
   今週のテーマはずばり「作曲家・都倉俊一」
 
これまで半田さんのオールナイトニッポンには…
 
「三木たかし先生」の回でインタビュー録音にて出演。
「阿久悠先生」の回では、ドイツから国際電話で生出演。
 
そして今回、いよいよスタジオに登場します。
 
        ◆放送日時◆

     9月19日(土)  25:00〜27:00
 
     詳しい情報は、◇半田健人のオールナイトニッポン◇へ。
 
半田さんのサイトでは都倉への質問、メッセージなども受け付けています。
 
お楽しみに!
 
【STA 担当:T】

2009.09.11 Friday
【Works】 ニコニコ動画のオーディション番組に生出演!

今週土曜(9/12)、インターネット、ニコニコ動画の「ニコニコ生放送」で放送される、音楽オーディション番組

        ニワンゴ+247Music
   「ニコ生☆生うたオーディション 〜注文の多い音楽祭〜」

に、審査委員長として出演することになりました


        ◆第1回放送(1次予選)◆

       9月12日(土)  18:00〜(約1時間半)

           ニコニコ生放送にて。


     詳しい情報は、ニコニコ動画のサイトにてご確認ください。
 

      〜注文の多い音楽祭〜 特設サイト


【STA 担当:T】

2009.08.21 Friday
【Works】 テレビ出演情報(8/25)

来週、日本テレビ「おもいっきりDON!」第2部にゲスト出演いたします。

       日テレ《おもいっきりDON!》
 
    放送日:8月25日(火) 午後1:05頃〜約10分間
 
     “きょうはDONな日”のコーナーです。

      お楽しみに!
 
【STA 担当:T】

2009.08.19 Wednesday
【Works】 ラジオ生出演情報(8/23)

TBSラジオの番組「爆笑問題の日曜サンデー」に、生でゲスト出演いたします。

       TBS Radio《爆笑問題の日曜サンデー》
 
    放送日:8月23日(日) 午後3:45頃〜約1時間の予定
 
    特別企画 “ニッポンの赤坂の教養”コーナーに出演いたします。

      お楽しみに!
 
【STA 担当:T】

2009.06.16 Tuesday
【Works】 テレビ出演情報(6/21,28)

CS、朝日ニュースター・チャンネルの番組「武田鉄矢の週刊鉄学」に、2週にわたりゲスト出演いたします。

       朝日ニュースター《武田鉄矢の週刊鉄学》
 
    第1回放送日:6月21日(日) 午前11:00〜11:55ほか

    第2回放送日:6月28日(日) 午前11:00〜11:55ほか

    この番組は、再放送が数回ございます。
    詳しくは上記リンクの番組HPにて、ご確認くださいませ。

      武田さんとの楽しいトークを、是非お楽しみください!
 
【STA 担当:T】

2009.05.15 Friday
【Works】 ラジオ情報(5/16)

明日のニッポン放送「オールナイトニッポン」で、都倉のコメントがOn Airされます。

       ニッポン放送《半田健人のオールナイトニッポン》
 
    放送日:5月16日(土) 25時〜27時

      半田さん自身によるインタビューです。
 
【STA 担当:T】

2009.05.14 Thursday
【Works】 テレビ出演情報(5/17)

今度の日曜日5/17の夜、テレビ朝日の番組に出演いたします。

       《大人のソナタ》
 
    放送日:5月17日(日) 夜7時〜
        tv asahi(地デジ5ch)にて


テーマは「歌はどこへ行った?」

昨今の音楽シーンには、昔に比べてみんなで口ずさめる歌が少ないのでは? という切り口で、そのテーマについて語ります。

お楽しみに!
 
【STA 担当:T】

2009.03.05 Thursday
【Works】 FMラジオ出演情報(3/7)

今週の土曜、FM NACK5(79.5 FM)「WEEK-END PARTY」に出演いたします。
 
   《FM NACK5 オフィシャルサイト》


   《WEEK-END PARTY 紹介ページ》
 
    放送日:3月7日(土) 24時〜
       「WEEK-END PARTY」内にてO.A.

お楽しみに!
 
【STA 担当:T】

2009.02.12 Thursday
【Works】 ラジオ生出演情報 2本(2/16)

来週月曜の夜、TBSラジオとラジオ日本に生出演いたします。
  
    1.TBSラジオ 「こちら山中デスクです」 
         (毎週月曜日 20時〜22時 生放送) 
      放送日:2月16日(月) 
       ※都倉の出演は20:30〜21:30の1時間の予定です。
 
         《番組オフィシャルサイト》
 
 
    2.ラジオ日本 「すがはらやすのり名曲!生スタジオ」
      放送日:2月16日(月) 
       ※都倉の出演は22:30〜23:00の30分の予定です。

お楽しみに!
 
【STA 担当:T】

2009.02.04 Wednesday
【Works】 「ヨリモプラス」でインタビュー公開中!

読売新聞のウェブサイト、“yorimo”にて、先週より都倉の最新インタビューを公開中です。
 
    都倉の記事へはこちらからどうぞ。
    「ヨリモプラス
 
同サイトで、CDプレゼントへの応募も受付中(2/15〆切)です。
 
是非、ご覧くださいませ。
 
【STA 担当:T】

2009.01.08 Thursday
【Works】 NHKラジオ生出演情報(1/10)

今週土曜、NHKラジオ第1(AM)「どよう楽市」に生出演いたします。
 
   《どよう楽市 オフィシャルサイト》
 
    放送日:1月10日(土) 
     ※都倉が出演するのは、
        午前9時15分頃〜 “楽市カフェ”のコーナーです。

お楽しみに!
 
【STA 担当:T】

2008.12.26 Friday
【Works】 「Felicity」iTunes Storeで配信開始!

都倉俊一グランドオーケストラの新譜「Felicity」が12/24よりiTunes Storeより配信開始になりました。
 
こちらのリンクよりどうぞ!
 
       felicity1s_mini.jpg
 
       都倉俊一グランドオーケストラ 「Felicity」
             at iTunes Store

 
【STA 担当:T】

2008.12.19 Friday
【Works】 ラジオ生出演情報(12/22)

来週、12月22日(月)にニッポン放送、テリーとたい平 のってけラジオに生出演いたします。
 
    《テリーとたい平 のってけラジオ》 
 
    放送日:12月22日(月) 
     ※都倉が出演するのは、
        午後 2時00分頃〜2時25分頃まで
                            の予定です。
 

【STA 担当:T】

2008.12.18 Thursday
【Works】 雑誌掲載情報 《レコード・コレクターズ》

12月15日発売の音楽雑誌「レコード・コレクターズ」2009年1月号に、都倉のインタビュー記事が掲載されています。
 
rc.jpg
 
<Amazon>
 
是非、ご覧ください。

【STA 担当:T】

2008.12.10 Wednesday
【Works】 最新インタビュー@MUSICSHELF!

CDの発売に合わせまして、本日より、音楽ファンによる音楽発見コミュニティーサイト、“MUSICSHELF”に都倉の最新インタビュー(前編)が掲載されています。

  MUSICSHELF


インタビューページへはこちらからもどうぞ。

  特集:都倉俊一 “ヒットメーカーの肖像”


後編も近日アップ予定です。
お楽しみに!

【STA 担当:T】

2008.12.09 Tuesday
【Works】 「Felicity」発売記念プレゼント!

明日、いよいよ、都倉俊一グランドオーケストラ最新アルバム

   「Felicity 〜至福の時
jacket_site.jpg

が発売となります!

新たなサウンドで生まれ変わった都倉の作品の数々。
是非、お楽しみください。


SONGS 都倉俊一ソングブック」(5枚組BOXセット)
This is my Song 都倉俊一の世界
抱擁/メッセージ 都倉俊一作品集」も、同時発売です。

 
当オフィシャルサイトでは、CD発売を記念いたしまして、
Felicity 〜至福の時」を、3名の方にプレゼントいたします。
 
 
    ◆◆◆応募要綱◆◆◆

応募用アドレス:present@s-tokura.com

こちらに、件名:CDプレゼント として、下記の内容、すべてにご入力の上、ご応募ください。
 
    ・郵便番号
    ・ご住所
    ・お名前
    ・お電話番号

    ・都倉へのメッセージ
 
    応募締切り:2008年12月21日(日)

  当選者の発表は発送をもって代えさせていただきます。
 
【STA 担当:T】

2008.12.04 Thursday
【Works】 来週、《ゆうゆうワイド》に生出演

来週、12月8日(月)にTBSラジオ、大沢悠里のゆうゆうワイドに生出演いたします。
 
    《大沢悠里のゆうゆうワイド》 
 
    放送日:12月8日(月) 
     ※都倉が出演するのは、
        午前 8時30分頃〜10時20分頃まで
                            の予定です。
 

【STA 担当:T】

2008.12.01 Monday
【Works】 今週、川中美幸さんの番組にゲスト出演

今週月曜日から、文化放送、川中美幸さんのラジオ番組にゲスト出演いたします。
 
    《川中美幸の人・うた・心
     放送日:12月1日(月)〜4日(木)
     文化放送 17:31−17:41
     (「玉川美沙 たまなび」内)
     
 
【STA 担当:T】

2008.11.27 Thursday
【Works】 書籍発売記念プレゼント!

いよいよ明日発売となります、書籍、「あの時、マイソング・ユアソング」。
 
オフィシャルサイトでは、発売を記念いたしまして、都倉のサイン入り本を、5名の方にプレゼントいたします。
 

book_present.jpg

 
    ◆◆◆応募要綱◆◆◆

応募用アドレス:present@s-tokura.com

こちらに、件名:書籍プレゼント として、下記の内容、すべてにご入力の上、ご応募ください。
 
    ・郵便番号
    ・ご住所
    ・お名前
    ・お電話番号

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    応募締切り:2008年12月14日(日)

  当選者の発表は発送をもって代えさせていただきます。
 
【STA 担当:T】
 

2008.11.26 Wednesday
【Works】 「大竹まことゴールデンラジオ」にゲスト出演!

昨日(11/25)、ゲスト出演いたしました、文化放送「大竹まことゴールデンラジオ」が、Podcastでお聞きいただけます。
 
下記の文化放送サイトより、Podcastを登録、又は、mp3ファイルをダウンロードしてください。
 
     大竹まことゴールデンラジオ
  
都倉からのプレゼントへの応募案内もございます。(応募締め切りは11/28)
 
【STA 担当:T】
 

2008.11.10 Monday
【Works】 今週、NHK「クローズアップ現代」に生出演!

今週、NHK「クローズアップ現代」に生出演いたします。

  ◆放送予定日:2008年11月13日(木)
     NHK総合:19:30〜19:56
        BS2:20:34〜21:00 

    番組オフィシャルサイト
 
【STA 担当:T】

2008.11.10 Monday
【Works】 書籍・CD発売情報

11月末より、都倉の書籍、CDが続々発売になります。
先日お伝えした書籍の正式タイトルも決定いたしました。
 
【書籍】
 
「あの時、マイソング・ユアソング」

   発売日:2008年11月28日
 
       新潮社 ¥1,500(税別)
 
70-80年代のポップス全盛期を築いた著者、初めての自伝的音楽エッセイ!
 
週刊新潮連載コラム「マイ・フレーズ 都倉俊一」に新たに加筆し、さらに“あの時”を感じていただける内容になっております。
 
 
【CD】
 
都倉俊一グランドオーケストラ "Felicity" 至福の時
 
   発売日:2008年12月10日

   VICL-63153
   ビクターエンタテインメント株式会社
   税込価格¥2,500(税抜価格¥2,381)
 
作曲家・都倉俊一が手がけた華麗なるオーケストラ・サウンド!
自作をオリジナル演奏とは異なる斬新なアレンジで再生させた全曲新録音の最新アルバム
 
ペドロ&カプリシャスやピンク・レディー、山本リンダらの歌唱で一世を風靡したあの名曲たちが、装いも新たに、めくるめくオーケストラ・サウンドで登場!
静謐な調べが聴く者を癒し、優雅なひとときへと誘います。
 
書き下ろしを含む全10曲収録。
 
 

"SONGS" 都倉俊一ソングブック
 
   発売日:2008年12月10日

   VICL-63148〜52
   ビクターエンタテインメント株式会社
   税込価格¥8,400(税抜価格¥8,000)
 
作曲家・都倉俊一の1,000曲に及ぶ膨大な楽曲のなかから、代表曲を中心に自薦曲や未発表曲などで構成した初の5枚組本格的作品集!!
 
同梱ブックレットには「寄稿」「最新インタビュー」「主要作品リスト」を掲載

未発表曲を含む、全107曲収録(予定)。
 
 
This is my Song 都倉俊一の世界
 
   発売日:2008年12月10日

   TOCT-26753
   EMIミュージック・ジャパン
   税込価格¥2,500

初CD化!
 
 
「抱擁/メッセージ」都倉俊一作品集
 
   発売日:2008年12月10日

   KICS-1409
   キングレコード
   税込価格¥2,500
 
アルバム「抱擁」に、シングル「メッセージ」の2曲を収録しての初CD化!
 
 
【STA 担当:T】

2008.10.21 Tuesday
【Works】 掲載情報!『クロワッサン プレミアム』

10/20発売の雑誌、『クロワッサン プレミアム』12月号に都倉と愛犬との記事が掲載されています。
 
『クロワッサン プレミアム』 オフィシャルページ

P.200 「ペットというよりも…」のページです。(^^)

是非、ご覧ください!

2008.10.09 Thursday
【Works】 「マイ・フレーズ」が本になります!

週刊新潮での連載コラム「マイ・フレーズ」が単行本で発売されることになりました。
 
  「マイ・ソング・ユア・ソング」
  新潮社
 
  発売日:2008年11月28日
 
 加筆再編集版です。
 お楽しみに!
 
 
【STA 担当:T】
 

2008.08.01 Friday
【Works】 「マイ・フレーズ」最終回

昨年8月より約1年、週刊新潮にて49回に渡り連載されてきました、都倉のエッセイ「マイ・フレーズ」が、おかげさまをもちまして、今週の8月7日号で最終回を迎えました。

長らくのご愛読、まことにありがとうございました。

【STA 担当:T】

2008.07.24 Thursday
【Works】 「阿久悠物語直前スペシャル」に出演!

8/1に放送予定のドラマ「ヒットメーカー阿久悠物語」の直前スペシャルに出演いたします。
 
「名曲映像美味しいところ見せちゃいます!阿久悠物語直前スペシャル」

 放送日時:7月27日(日) 13:25〜14:25
  
 日本テレビ 番組案内ページはこちら

ドラマのサイトはこちらです。
 
是非、ご覧ください。
 
 
【STA 担当:T】

2008.07.11 Friday
【Works】 7/17 NHKラジオに出演いたします

来週、7/17(木)深夜、NHKのラジオ番組に出演いたします。


 ♪ 「ラジオ深夜便」 “わが心の人” 〜阿久 悠さん〜 ♪

   7/17(木) 25:10(深夜1:10〜)〜25:50

     NHKラジオ第1 にて

 「ラジオ深夜便 」番組サイト

ゲストとして、阿久悠さんについて語ります。

どうぞ、お楽しみに!

【STA 担当:T】

2008.06.10 Tuesday
【Works】 6/12、NHK「スタジオパークから…」に生出演!

今週、「スタジオパークからこんにちは」に、生出演いたします!

  ☆NHK総合テレビ 6/12(木) 午後1:05〜

「スタジオパークから…」オフィシャルサイト

NHKのオフィシャルサイトからは、都倉への質問、メッセージも募集しております。
この機会に、是非、おたよりお寄せください。


【STA 担当:T】

2008.05.21 Wednesday
【Works】 「スタジオパークから…」出演日が延期になりました

今週、予定しておりました、「スタジオパークからこんにちは」への出演日が延期になりました。

現在のところ、6月中旬を予定しておりますが、日程が決まりましたらこちらでお知らせいたします。


【STA 担当:T】

2008.04.18 Friday
【Works】 「ミュージックメモリー」好評放送中!!

4月から放送が始まりました、「ミュージックメモリー」

*** NHK FM 毎週日曜 朝8時〜9時 ***

お楽しみいただけてますでしょうか?

次回、4月20日のゲストは谷村新司さんです。
2人の楽しいトークを交えての1時間、どうぞお楽しみに!

【STA 担当:T】

2008.03.26 Wednesday
【Works】 4月よりラジオのパーソナリティーをつとめます

来月からNHK−FMでラジオ番組のパーソナリティをつとめることになりました!

♪♪♪NHK-FM 「ミュージックメモリー」♪♪♪

♪♪♪放送開始 4月6日(日) 毎週日曜 朝8時〜9時 ♪♪♪

都倉がお薦めするさまざまなジャンルの音楽を聴きながら、いろんな話題をお届けする60分。
休日の朝、皆さんも都倉と一緒に、素敵な音楽に耳をかたむけてみませんか?

毎月、ゲストをお招きする回もあります。
4月の記念すべきお1人目のゲストは、谷村新司さんです。(4/20, 27 on air)

どうぞ、お楽しみに!

【STA 担当:T】

2007.12.27 Thursday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハーモニー(第12回)

都倉俊一の辛口ハーモニー(第12回)

辛口ハーモニーは1990−91年ごろに書いたコラムです。したがって今読むと何だかおかしい感じのするところもありますが、ご容赦を。
たとえばブッシュ大統領といえば今のブッシュの父親だし、湾岸戦争も今のイラク戦争とは違います。
しかし読んでゆくと今の情勢とまったくオーバーラップしてきます。
人間は歴史からあまり学ばないものですね。憲法問題も最近よく議論されますが、16年前はまだマスコミもそれほど取り上げない時代でした。

日本はこの15年でどのくらい変ったのか、日本の政治は、外交は?
それらを比べながら読むとかんがえさせられるものがあります。

************************************************************

「重大な責任を問うものは?」
〜国民ひとりひとりが現状打破しなければ、
我が国の政治が良くなる見込みなど全くない!?〜


 今回の自民党総選挙で我々はまたまた分かりにくい日本の政治を目の当たりにした。そもそも海部首相の重大な決意#ュ言である。

 衆議院において海部サンが、政治生命をかけるといった政治改革法案が総裁である御当人も知らぬ間に廃案となったことが原因で「重大な決意を持ってこの難局に望む」と発言した事に端を発し、海部サン、次期総裁の椅子を棒に振ったのである。

 あっという間の出来事であった。

 もちろん、その理由は自民党内最大派閥の会長の一声、つまり、金丸信サンの逆鱗に触れたという事である。

 なんとも、我々国民には分かりにくい現象だ。

 まず、我々素人から見ると、首相だからと言って何故重大な決意≠ェ解散か、総辞職を意味しなければならないか、という事である。

 重大な決意という日本語は普通、日本の日常生活においては、単に重大な決意、決心という意味なのである。それが永田町では解散、総辞職の意味だという。

 もし永田町だけでもこの日本語がそのような意味を持つなら、辞書にそう、断り書きを付けておくべきである。

 さらに、なぜ永田町でそういう風に解釈されるかという事をマスコミをはじめ、誰も国民に説明しない。テレビのニュースでも記者がいかにもそれが当然のようにリポートする。

 ちなみにマスコミの政治部の記者と称する皆さんは、いわゆる永田町の通≠ネのであろう。彼らの永田町スペシャリストとしての発言、言い回し等のレポートの多くは限りなく永田町に近く、一般大衆とは遊離している。多分朝から晩まで同じ環境で生活していると、自然それらに同化してしまうのであろうか。

 その良い例が今回の主役である金丸信サンの発言の取り扱い方であった。

 この金丸サン、国民から見てみると、なんとも不思議なお人である。いつも目を半分開けているのか、寝ているのか、笑っているのか、睨んでいるのか分からない表情をして、何かというと、
「それで政治が国民の皆サンの理解を得られるのか」
と叱咤する。

 ところが我々国民は理解≠ヌころか彼のいう事を聞いているうちにますます意味が分からなくなる。

 でもどうやら彼の一言で日本という国が動くらしい。マスコミの取り上げ方も金丸発言≠ニいう見出しでくくればそれが決定事項であるという取り扱いだ。

 しかしマスコミはその発言の解説はしてくれない。ただ金丸サンが、
「重大な決意とは解散か総辞職しかない……」
と言えば、
「海部サン見捨てられ」になり、
「私情を捨てて外交に強い人を望む」
と言えば、
「宮崎サン有力……」というふうになる。
 しかし一方で、
 「自主派閥から自主候補を立てられなければ会長の重大な責任」
という御本人の発言は、竹下派独自候補の擁立失敗もの後も、マスコミをはじめ誰もその重大な責任を問う者がいない。

 これはこの人の人徳なのか、皆サンこの人がよほど怖いのか、いずれにしても「分かりにくい政治」「戦後の派閥政治」の集大成とも言われる今回の自民党総裁選、はたしてまたまた「物言わぬ国民大衆」にはどう映ったのであろうか。

 国の政治はその国の民度を表わす、という。つまりその国の政治の分かりにくさは、その国民の物の考え方、行動の分かりにくさの象徴であるということなのかもしれない。

 わかりにくい政治をする政治家を選んだのは国民であり、それを助けているのはマスコミである。この構図が崩れない限り、政治家、マスコミ双方が声を大にして言っている、わかりやすい政治∞世界に開かれた日本≠ネどというキャッチがますます空虚に響く。

<第12回・了>

2007.11.26 Monday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハーモニー(第11回・その2)

都倉俊一の辛口ハーモニー(第11回・その2)

辛口ハーモニーは1990−91年ごろに書いたコラムです。したがって今読むと何だかおかしい感じのするところもありますが、ご容赦を。
たとえばブッシュ大統領といえば今のブッシュの父親だし、湾岸戦争も今のイラク戦争とは違います。
しかし読んでゆくと今の情勢とまったくオーバーラップしてきます。
人間は歴史からあまり学ばないものですね。憲法問題も最近よく議論されますが、16年前はまだマスコミもそれほど取り上げない時代でした。

日本はこの15年でどのくらい変ったのか、日本の政治は、外交は?
それらを比べながら読むとかんがえさせられるものがあります。

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 言論の自由というのは一見、簡単に理解しやすいように見える。つまり何を言おうと人の勝手である%I考え方ある。それに比べて個人の権利≠ヘ文章上は理解できているように思えるが、個人の意識の希薄な社会の中ではなかなか実践は難しい。

 結果、実社会ではこの両者のバランスが崩れ、言うのは人の勝手≠フ方が暴走しやすい。時には非常に日本人的であるいじめ的性格≠煌轤覗かせる。

 それでは個人の権利≠ニいうものの対抗手段はというと、これがあまり実効的な方法が今の日本にはない。法律的手段を取ればいい、裁判に訴えればいいと言うものの、実際過去の例ではあまり効果がない。

 個人的な権利という認識が希薄な社会では裁判所と言えども例外ではない。その結果、たとえ個人の権利が侵されてもそのペナルティは驚くほど軽い。

 つまり個人の権利に対して、いくらの値段をつけて良いかは日本の裁判所ではまだ理解できていないのではないかと思う。

 この経済大国日本の中で、大手出版社に対してせいぜい数百万円の支払と、4分の1ページの謝罪広告程度のペナルティでは、抑止力にはなり得ない。結局、書き得≠ニいうことになってしまう。

 私がアメリカに住んでいた80年代のはじめに、中西部の出版社が、ある州議会議員のスキャンダルを書いた。しばらくしてそれが事実でないことが判明したが、その議員は次の選挙で落選してしまった。州立裁判所は、その議員の訴えによって出版社に対し、何と300億円の賠償を命じた。結局、その出版社は倒産してしまったのである。

 西洋民主主義のシステムが日本に取り入れられて40年以上経つが、日本人は未だにマニュアルを片手に勉強中のようである。

 証券業界の損失補てんも、リクルート事件のお礼≠焉A政治家に対する献金も、はたまた時によって法律違反になる冠婚葬祭のお金も、日本人にとってあまり罪悪感のあるものではない。まだまだ日本の社会では西洋的システムが古い日本の慣習の上で空回りをしている。

 今回の問題も表現の自由≠ニ同じように個人の権利≠守る実効的手段がない限り、また単なる興味本位の議論で終わってしまう。

<第11回・了>

2007.11.12 Monday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハーモニー(第11回・その1)

都倉俊一の辛口ハーモニー(第11回・その1)

辛口ハーモニーは1990−91年ごろに書いたコラムです。したがって今読むと何だかおかしい感じのするところもありますが、ご容赦を。
たとえばブッシュ大統領といえば今のブッシュの父親だし、湾岸戦争も今のイラク戦争とは違います。
しかし読んでゆくと今の情勢とまったくオーバーラップしてきます。
人間は歴史からあまり学ばないものですね。憲法問題も最近よく議論されますが、16年前はまだマスコミもそれほど取り上げない時代でした。

日本はこの15年でどのくらい変ったのか、日本の政治は、外交は?
それらを比べながら読むとかんがえさせられるものがあります。

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都倉俊一の辛口ハーモニー(第11回・その1)
「プライバシーの権利とは!?」
〜法で認められていても一体何が自由なのかを、
個々が再認識する必要がありそうだ〜

 最近、新興宗教の教祖と大手出版社の写真週刊誌との争いで、また言論の自由とプライバシーの問題がクローズアップされている。

 あらゆるメディアがこの両者の争いを面白おかしく取り上げているので、世間では興味津々とその成り行きを見守っているようだ。

 この出版社に対して、信者多数が抗議に押しかけるに到って、出版社側の言論の自由かペンの暴力か、また信者側の行動は正当な抗議か、言論に対する侵害かという問題にもなってきた。

 思えばこのような言論の自由とプライバシーの争いは、今さら新しく始まった問題ではない。過去にいくらでも似たような事例があり、時には和解が成立し、時には裁判で白黒が付けられた。

 しかし公平に見て多くの場合、その勝敗とは別に、プライバシーを書かれた側がはるかにダメージが大きいことは間違いない。出版社は時には謝罪文を掲載し、時には慰謝料を支払ってもそのダメージは比較的軽微である。そのおかげで出版社が潰れたなどということは聞いた事が無い。

 それに比べて個人の社会的ダメージは多くの場合、取り返しがつかない。度々和解が成立するのも、個人の争いが長引いてダメージがさらに大きくなるのを恐れての事が多いようだ。

 今回の新興宗教と出版社の争いで、マスコミでは議論百出の感があるが、私がここで感じるのはどちらが良いか悪いかではなく、相変わらず日本人の意識の中で、言論の自由と個人の権利というものが空回りしているな、ということである。

 これはその他多くの日本の社会制度の空回りと同根であり、西洋民主主義的な個人≠フ意識が無い社会にプライバシー∞権利≠ネどといくら言ってもそれは単なる文章に書いてある決まり事にすぎない。

 実際には家族意識∞ムラ意識∞集団思考≠フ強い日本人が西洋的個人∴モ識を持つには、まだ数世代かかると私は思う。それにもかかわらず、ルールは言論の自由であり、個人の権利なのである。

<次回へ続く>

2007.10.15 Monday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハーモニー(第10回・その2)

都倉俊一の辛口ハーモニー(第10回・その2)

辛口ハーモニーは1990−91年ごろに書いたコラムです。したがって今読むと何だかおかしい感じのするところもありますが、ご容赦を。
たとえばブッシュ大統領といえば今のブッシュの父親だし、湾岸戦争も今のイラク戦争とは違います。
しかし読んでゆくと今の情勢とまったくオーバーラップしてきます。
人間は歴史からあまり学ばないものですね。憲法問題も最近よく議論されますが、16年前はまだマスコミもそれほど取り上げない時代でした。

日本はこの15年でどのくらい変ったのか、日本の政治は、外交は?
それらを比べながら読むとかんがえさせられるものがあります。

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 第二次大戦前はパリ、ロンドンと並び称された花の都ベルリン。その中心のウンターデンリンデン大通りはパリのシャンゼリゼ大通と並んで、ヨーロッパの文化の中心地であった。その起点となるのが、ブランデンブルグ門。かの森鷗外もこのあたりをよく散歩したという。このブランデンブルグ門を、あの醜い灰色の壁が通っていた。

 私の同級生達も卒業後は皆、ベルリンを離れ、ドイツ中に散らばってしまった。それも仕方の無い事で、ベルリンはこれと言った産業も無いし、高校を出て大学に入るにしても、その後就職するにしても万事、西ドイツの方が都合が良い。
したがって、私がベルリンを訪ねてもかつての同級生は誰もいず、年取ったその両親達がいるだけであった。

 ベルリンの壁崩壊後のニュースを聞いて私の頭に浮かんだのは、まずこのクラスメート達の事であった。最近ではあまり連絡も取らなくなってきたが、果たして皆、どこでこの衝撃的なニュースを聞いているのだろうか。きっとそれぞれ、この私とはまた違った想いでこの悲劇的な60年代を思い出しているだろう。そんな思いを巡らせている私の所へ、一通のFAXが届いたのが‘91年の春であった。

   ブランデンブルグ≠フ下を手をつないでくぐる会
    1965年、アルント・ギムナジウム一年生同窓会
       時:1991年8月18日(日)

 私は仕事先のロンドンから8月17日にベルリンのラーグル空港に着いた。空港にはやはり、当時我が家で働いていた運転手のハインツ・ヴェーグナーが出迎えてくれた。

 ハインツの運転する車は東西緊張の象徴であった境界線チェックポイント・チャーリー$ユを通って東に入った。今や検問所は跡形もなく、大きな広場みたいな感じで残っているだけである。
 
 統一されたと言っても、まだ東ベルリンの復興は何一つ手が付けられていない。よくマスコミに登場した東ベルリンの象徴であり、社会主義の誇りとして紹介されてきたアレクサンダー・ブラッツの大通りを少し裏道に入っただけで、そこは全くの別世界、建物は恐ろしく汚くて古く、中にはまだベルリンの攻防戦の時の弾痕が壁に生々しく残っている建物もたくさんある。社会主義の虚飾の繁栄の裏でいかに人々が苦しめられていたかを思うと同時に、これからの統一ドイツの復興の困難さも想像できるのである。

 1991年8月18日の日曜日は朝方、雲が多かったが、昼頃には太陽も顔を出してくれた。

 約束の午後2時少し前に私は、ブランデンブルグ門へ着いた。少し胸をときめかせながら歩いて行くと、知った顔が見える。もうすっかり禿げ上がった頭のクリスチャンやマンフレット。おばさんになってしまったガービーやギーゾラー。しかし、その笑顔は25年前と同じであった。結局集まったのは8人である。ひとしきり思い出話に花が咲いた後、8人は並んで手をつないだ。

 マンフレットが1,2,3と声を掛け、我々はブランデンブルグ門を歩いてくぐった。彼らの顔も、私の心も実に晴々としていた。

<第10回・了>

2007.09.28 Friday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハーモニー(第10回・その1)

都倉俊一の辛口ハーモニー(第10回・その1)

辛口ハーモニーは1990−91年ごろに書いたコラムです。したがって今読むと何だかおかしい感じのするところもありますが、ご容赦を。
たとえばブッシュ大統領といえば今のブッシュの父親だし、湾岸戦争も今のイラク戦争とは違います。
しかし読んでゆくと今の情勢とまったくオーバーラップしてきます。
人間は歴史からあまり学ばないものですね。憲法問題も最近よく議論されますが、16年前はまだマスコミもそれほど取り上げない時代でした。

日本はこの15年でどのくらい変ったのか、日本の政治は、外交は?
それらを比べながら読むとかんがえさせられるものがあります。

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「思い出深い町ベルリン」
  〜突然届いた一通のFAXによって、
思い出した60年代と35年ぶりに出会った友人は…〜

 4年ぶりのベルリンであった。北国の夏は短い。8月と言えばもう空気の中には秋のにおいが漂い始めている。

 25年前、私は高校時代をこのベルリンで過ごした。私にとって、このベルリンは実に想い出の多い青春の街ある。多くの友人を作り、音楽に熱中した。時には恋もしたし、スポーツも大いに楽しんだ。

 しかしそんな私の熱い想い出とは裏腹に、60年代と言えばまさに東西の冷戦の真っ只中であった。

 1961年8月のある日、それまで通行自由であった、ベルリンの東西の境界線に突然、ソ連の戦車が出撃し、バリケードを作り始めた。その朝、いつものようにその境界線を通って東側に出掛けた人々はそれ以来、30年に渡って東ベルリンから帰れなくなったのである。私の同級生、知人らも、ほとんど例外なくその親族の誰かを東側に残していた。

 それでも60年代の前半といえば、まだ毎日のようにそのバリケードを越えて西側に脱出してくる人々が後を断たなかった。

 そして壁にまつわる多くの悲劇も生まれたのである。しかし、次第に壁も近代的に補強されるにしたがって、そんな話は聞かなくなる。ベルリンの東西分断という既成事実が、定着した形になってしまった。

<次回へ続く>

2007.09.14 Friday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第9回 その2)

都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第9回 その2)

 辛口ハーモニーは1990−91年ごろに書いたコラムです。したがって今読むと何だかおかしい感じのするところもありますが、ご容赦を。
たとえばブッシュ大統領といえば今のブッシュの父親だし、湾岸戦争も今のイラク戦争とは違います。
しかし読んでゆくと今の情勢とまったくオーバーラップしてきます。
人間は歴史からあまり学ばないものですね。憲法問題も最近よく議論されますが、16年前はまだマスコミもそれほど取り上げない時代でした。

日本はこの15年でどのくらい変ったのか、日本の政治は、外交は?
それらを比べながら読むとかんがえさせられるものがあります。

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 近代史に東郷元帥登場させるのは結構なことである。しかし今、アジアの中の日本、世界の中の日本を唱える時、我々は日本の昭和史を正確に後世に伝えなければならないのである。ドイツの統一で、世界は新しい時代を迎えた。

 しかし、この統一もドイツにとっては戦後、辛くて苦しい道程であった。東西の冷戦の象徴のように分割され、戦争中のナチスの悪行については日本と比べ物にならないほど糾弾され、今日に至るまでその責任を追及され続けている。

ドイツはそれをひとつひとつ歴史の事実として認め、自戒しつつ進んできた。それがなければ世界はドイツの統一を許さなかったであろうし、ドイツは国際社会に復帰する事もままならなかったに違いない。

 しかし彼らは同時に新しいドイツを主張する事も忘れてはいない。ナチス時代を教訓にドイツは生まれ変わった事を強調すると共に、戦後、独立国としての権利はあくまで主張し続けてきたのである。

 日本も真の国際社会の一員になるためには、もう一度、日本の現代史を見直してみる必要がある。中には日本人にとって辛い一面もあるかもしれないが、それを乗り越えてはじめて日本の主張もできる。

 昭和史にとって、重要な出来事であった極東軍事裁判。今、我々はこの原点に立ち返って日本の戦後史の矛盾を見直す時でもある。今、何が日本の社会を軋ませているのか。我々は昭和史の中に何かを置き忘れてこなかったのか。市ヶ谷の、あの大講堂が何かを語ってくれているような気もする。

<第9回・了>

2007.08.28 Tuesday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第9回 その1)

都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第9回 その1)

 辛口ハーモニーは1990−91年ごろに書いたコラムです。したがって今読むと何だかおかしい感じのするところもありますが、ご容赦を。
たとえばブッシュ大統領といえば今のブッシュの父親だし、湾岸戦争も今のイラク戦争とは違います。
しかし読んでゆくと今の情勢とまったくオーバーラップしてきます。
人間は歴史からあまり学ばないものですね。憲法問題も最近よく議論されますが、16年前はまだマスコミもそれほど取り上げない時代でした。

日本はこの15年でどのくらい変ったのか、日本の政治は、外交は?
それらを比べながら読むとかんがえさせられるものがあります。

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「戦争が残した傷跡」

 〜日本の昭和史を振り返ったとき、
               我々は大きな矛盾に気がつかなければならない!〜
 
 湾岸戦争以来、中東に対する掃海艇の派遣やPKOなど、最近にわかに自衛隊に対して世間の注目が集まっているなか、私は市ヶ谷にある自衛隊を見学する機会があった。

 6万8730坪の広い敷地の中は緑も多く、東京の真ん中とは思えない趣を残している。

 この市ヶ谷の自衛隊の建物は色々な歴史的意味を持っている。そもそもは近衛連隊の本部が置かれ、戦争中は一時、大本営も置かれた。地下にある防空壕が当時を偲ばせる。昭和45年、総監室における三島由紀夫の切腹は衝撃的であった。

 しかし、何よりも日本の昭和史にとって重要なのは、ここの大講堂で昭和21年〜23年にかけて、極東軍事裁判が開かれた事である。

 日本が焦土と化し、飢え、明日を考えることも出来なかった頃、ここ市ヶ谷の大講堂で2年半に渡り、極東軍事裁判が開かれた。

 文字通り、日本が国際法の名の下に戦争犯罪者として裁かれたのである。敗者の姿は惨めであった。
判決の結果、多くの戦犯が処刑された。

 この裁判の是非については、専門家の間でもその意見が分かれるところである。戦後、機会あるたびに世界中の法学者からもこの裁判の国際法上の正当性に対して、疑問を投げかける意見が後を絶たない。

 いずれにしても、この裁判が一時代に幕を引くと共に今日の日本の出発点であった事に間違いない。

 ある意味ではこの市ヶ谷の大講堂は、昭和史にとって最も重要な建物であると言ってもいいのである。

 この建物が数年後に取り壊されるという。六本木の檜町にある本庁をここに移転するのに伴い、新しい高層ビルを建てるのだそうだ。これが実行されると、また一つ日本の近代史にとって重要な手がかりが失われることは言うまでも無い。

 今、ここで考えなければならないのは一つの建物だけの事ではない。日本人の昭和史というものに対する考え方なのである。

 我々は昭和史というものを正しく捕らえ、またそれを検証してきたであろうか。正確に事実を把握し、教育に活かして来たであろうか。これらの事を考えてみる上で、その起点となるのが極東軍事裁判であると私は思う。

<次回へ続く>

2007.08.17 Friday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第8回 その4)

都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第8回 その4)

 辛口ハーモニーは1990−91年ごろに書いたコラムです。したがって今読むと何だかおかしい感じのするところもありますが、ご容赦を。
たとえばブッシュ大統領といえば今のブッシュの父親だし、湾岸戦争も今のイラク戦争とは違います。
しかし読んでゆくと今の情勢とまったくオーバーラップしてきます。
人間は歴史からあまり学ばないものですね。憲法問題も最近よく議論されますが、16年前はまだマスコミもそれほど取り上げない時代でした。

日本はこの15年でどのくらい変ったのか、日本の政治は、外交は?
それらを比べながら読むとかんがえさせられるものがあります。

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 先日もナチスドイツ占領下のポーランドでの出来事が紹介されていた。ポーランドと言えば悪名高いのがワルシャワに作られたユダヤ人ゲットー、いわゆる「ワルソー・ゲットー」である。百人以上のユダヤ人がここで隔離され、殺された。
しかし今回放送されたのは、ここの話ではなく、ロッツ(LODZ)という街での出来事である。

 この街、当時ドイツ名で「リッツマンシュタット」と呼ばれ、20万人が住んでいた。

 1943年3月、この街はナチスに占領され、即座にユダヤ人、ポーランド人絶滅政策が実施された。

 まず実行されたのが、労働力にならない6歳以下、60歳以上を殺すことである。親衛隊が住宅に入り込み、泣き叫ぶ母親を振り切りながら、幼児や乳児をビルの窓から放り投げる。老人は見つかれば、すぐに射殺である。生き残った人々の様々な証言が紹介された。

 次に流された実写フィルムと音声がさらに衝撃的である。このロッツの市長の市民に対する放送である。

 この市長は占領軍司令官より処刑する2万4千人のリストを提出しろと、命令される。これも幼児、老人である。彼は命がけで懇願する。その結果、2万4千人を2万人にしてもらう。そのことを市民に放送で訴えるのである。

 つまり、これ以上はどうしようもない。「私の人生で最も辛い事を皆さんに言わなければならない。お願いです。子供と老人を出して下さい。2万人の命で20万人が救われるのです。」

 まさに狂気の演説である。結果として戦争が終わった時、人口20万のロッツ市の生存者は800人だったのである。

 このような事は事実46年前に起こったのである。その当時を知る人が生存している間、このような記憶は決して薄れることは無いであろう。

 ドイツが統一され、首都がベルリンに戻る。この事を私のように感傷的に受け止めている人間ばかりではない。あの悪夢とオーバーラップして、このニュースを受け止めた人がまだ世界には大勢いる。このような人が生きている限り、ドイツの背負っている十字架は軽くはならない。

 しかしそれにもかかわらず、統一ドイツは一歩一歩前進して行くのである。経済大国としてさらにたくましさを感ずるくらいである。

 それに比べると、我が国の戦後処理には大いなる疑問が横たわる。

 世界の二大経済大国になった日独両国。しかし、その歩んできた戦後の道はあまりにも違う。今、歴史の大きな転換期にあってわが国は、ドイツに比べてやり残してきた事はないのか。真剣に考えなければならない時なのである。

<第8回・了>

2007.08.10 Friday
【Diary】 阿久 悠 先生  追悼

 38年の付き合いの中で阿久さんと僕とが言葉で何かを約束したり確認したりした記憶はあまり無い。

言葉の達人である阿久さんも、日常会話に関してはいたって言葉が少ない、と言うよりは人間関係に関しては以心伝心の人であった。数多い阿久・都倉コンビの作品で、その曲が出来上がった時、あるいはヒットした時でも阿久さんが「よかったね!」とか「やった、やった」などと騒いでいた記憶はほとんど無い。78年にピンク・レディーの「UFO」でレコード大賞を取ったときでも、僕の肩を突然“ポン”と叩き後ろを振り向くと阿久さんが口をへの字に結んだまま何にも言わず何回もうなずいていた。その眼だけが輝いていた。 

 僕が阿久さんに初めて出会ったのはまだ大学の三年生の時であった。あるレコード会社のプロデューサーから依頼され、伊豆で合宿をしながら二人で20曲ばかり書いた。この合宿で問題が一つあった。阿久さんは一日の睡眠時間が4時間で足りる人であったが僕は10時間寝ないと役に立たない。効率的な創作は不可能である。結局この20曲からはヒットは一曲も出なかった。しかしこの合宿で二人の間にその後30年以上続く友情を築くことができたと僕は今でも思っている。二人で色々な話をした。歳は一回り違うが話の共通点は多かった。ビートルズからハリウッド映画、はたまた日露戦争と乃木将軍まで話は尽きなかった。打ち解けてゆく中でまだ学生だった僕は、果たして作曲家として食べてゆけるか等の不安を打ち明けたものである。その一年後に私が大学を卒業した時、自宅に大きな包みが届いた。送り主は阿久悠、中を開けるとそこには僕の名前入りのスコアが5千枚入っていた。その時僕は阿久さんが無言で僕の肩を“ポン”と叩き「都倉ちゃん、大丈夫。君は十分作曲家としてやって行けるよ」という暗黙のメッセージを込めてくれているような気がした。しかしその後もそんな励ましを阿久さんから言葉で言われたことは一度もない。 

 阿久悠という人は五千曲の詞を書き、何百人というスターを世に送り出した。レコード売り上げを始めとするあらゆる記録を塗り替えた昭和の大作詞家も夢を語る時は少年に戻る。自分の好きだった昔のハリウッドスターの話や、憧れだった野球選手の話。それがプロゴルファーや甲子園の高校球児だったりすることもある。彼はそれらを大事に自分の大きなオモチャ箱にしまっておくのである。時々その中から何かを取り出しては仲間に見せて驚かすのが楽しみだったようだ。その中から「勝手にしやがれ」や「サウスポー」「モンスター」などが飛び出してきた。


 「スターはいつも輝いていなければいけない」といつも言っていた阿久さん。あなたの光でいったい幾つの星が輝いたことか。スターだけではない。その回りのスタッフも我々友人も、いつもあなたからの光を受けていた。その光は眩しすぎず時には照らされていることにも気づかない時もあったが、その光が無くなって我々は今暗闇にいる。
そう阿久さん、あなたは太陽だった。(合掌)
 
<朝日新聞 8月4日 朝刊 掲載>

2007.08.03 Friday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第8回 その3)

都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第8回 その3)

 辛口ハーモニーは1990−91年ごろに書いたコラムです。したがって今読むと何だかおかしい感じのするところもありますが、ご容赦を。
たとえばブッシュ大統領といえば今のブッシュの父親だし、湾岸戦争も今のイラク戦争とは違います。
しかし読んでゆくと今の情勢とまったくオーバーラップしてきます。
人間は歴史からあまり学ばないものですね。憲法問題も最近よく議論されますが、16年前はまだマスコミもそれほど取り上げない時代でした。

日本はこの15年でどのくらい変ったのか、日本の政治は、外交は?
それらを比べながら読むとかんがえさせられるものがあります。

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私が通っていたベルリンの高校も社会科の見学、歴史授業の一環として時々、ナチス時代の映画を見せた。

 特に私の印象に強く残っているのがアウシュビッツ収容所≠ニいう実写フィルムであった。

 ポーランドのユダヤ人強制収容所、アウシュビッツの何とも言いようのない、残酷な記録フィルムであった。何万という人間が餓死し、ガス室で殺され、子供が医学実験に利用された。収容所長のテーブルクロスはユダヤ人の皮膚で作られ、カーペットは髪で編まれたのである。

 こう言うフィルムを高校の社会見学で見せるドイツの教育は日本人には理解し難いかもしれない。しかし彼らはこの現実を認め、その上で新しい一歩を踏み出す。その考え方の根底には、「今のドイツとは違う、あれはヒトラーの狂気によって引き起こされた悲劇なのである。今のドイツは新しいドイツだ」という考え方が強く流れており、教育にも徹底している。

 ドイツがもしこのような態度を取らずに、クサイ物にフタをするようなことをしたら、それこそ彼らは永遠に国際社会の一員として、認められることはなかったであろう。

 しかしまだまだ人々、特にヨーロッパ諸国の記憶からはナチスドイツの思い出は消えていないようだ。

 イギリスでは今日もなお、週に一回、BBC放送があの時を忘れるな≠ニいう番組を流している。
当然あの時とはナチスドイツと戦っていた頃のことである。

 やや、イギリス人特有の時代錯誤的印象派否めないが、彼らの「今日の英・独関係は別として、(‘92年にはECの中で統合しようとしているのだから)過去にこういうことがあったという事は忘れるべきではない」というのである。

 それも一理ある。しかし、やられているドイツ人の心情も察するに余りある。しかも、こういう事が新しく次々に登場する。
<次回へ続く>

2007.07.20 Friday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第8回 その2)

 都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第8回 その2)

 辛口ハーモニーは1990−91年ごろに書いたコラムです。したがって今読むと何だかおかしい感じのするところもありますが、ご容赦を。
たとえばブッシュ大統領といえば今のブッシュの父親だし、湾岸戦争も今のイラク戦争とは違います。
しかし読んでゆくと今の情勢とまったくオーバーラップしてきます。
人間は歴史からあまり学ばないものですね。憲法問題も最近よく議論されますが、16年前はまだマスコミもそれほど取り上げない時代でした。

日本はこの15年でどのくらい変ったのか、日本の政治は、外交は?
それらを比べながら読むとかんがえさせられるものがあります。

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戦後45年以上も経った今日において、ユダヤ人組織をはじめとしてドイツの戦争犯罪に対する攻撃の手は決して緩む事が無い。

 欧米各国も事あるごとに、ナチスドイツ時代の悪業を彷彿させ、人類に対する大罪として糾弾してきたのである。

 ドイツは戦後を通じて、常にこの非難に直面しながら進んできた。そして自らその屈辱の中で懺悔し、悔い改めながら国際社会と共存してきたのである。

 同じ敗戦国として、この点が我が国と大いに違う。我が国も、我が国なりに極東軍軍事裁判以来、世界の非難を受けてきた。しかしそれはドイツのそれとは比べ物にならない。

 これには様々な理由があるであろう。確かにナチスの非道は他に例を見ないほど、残忍であった。また、戦勝国側から見れば、同じ歴史、文化的伝統を共有するものの行為として、許しがたかったということもあったであろう。

 今日、東側の崩壊とともにかつてナチスドイツの占領下であった東欧諸国が自由主義陣営に入ってくるとともに、ますますさらに如実な歴史的事実が明るみに出されるかもしれない。しかしこれは、ドイツ国民が一生、背負っていかなければならない十字架なのである。

 事実ドイツ国民は、戦後これを直視しながら生活してきた。

<次回へ続く>

2007.07.06 Friday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第8回 その1)

都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第8回 その1)

 辛口ハーモニーは1990−91年ごろに書いたコラムです。したがって今読むと何だかおかしい感じのするところもありますが、ご容赦を。
たとえばブッシュ大統領といえば今のブッシュの父親だし、湾岸戦争も今のイラク戦争とは違います。
しかし読んでゆくと今の情勢とまったくオーバーラップしてきます。
人間は歴史からあまり学ばないものですね。憲法問題も最近よく議論されますが、16年前はまだマスコミもそれほど取り上げない時代でした。

日本はこの15年でどのくらい変ったのか、日本の政治は、外交は?
それらを比べながら読むとかんがえさせられるものがあります。

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都倉俊一の辛口ハーモニー(8)「ドイツ統一で感じたこと」(その1)

 〜第二次大戦後、半世紀近く経とうとしているが、
              日本はその傷跡をうまく処理できたか!?〜


 ドイツ連邦議会は‘91年6月21日、ベルリンをドイツの統一後の首都と決めた。今後10年かけてボンからベルリンへの首都機能の移転を行う。ナチスドイツ崩壊から46年ぶりのことである。

 私は小学生時代をボンで、また高校生時代をベルリンで過ごした。この首都移転はひとしおの感慨がある。そして今さらながら、ドイツ国民がこの戦後45年、歩んできた苦難の道程を思わずにはいられない。

 1949年、ドイツ連邦共和国(西独)が成立、その臨時首都をボンにおいた。ドイツの連邦基本法(憲法)にもあるとおり、統一ドイツの首都はベルリンであり、ボンはあくまでテンポラリーな首都であった。それがこの度の連邦議会で実証された形となった。

 私が父の任地であるライン河畔にある、ボンに移り住んだのは、1955年の夏であった。

 まわりの小さな町々を合わせても人口30万足らずの眠ったような街であった。ドイツ人は当時、ボンの事を首都(Haupt-Stadt)ではなく、首村(Haupt-Dorf)であると、皮肉っていたものである。

 しかし中世以来、ボンは大学都市として知られ、ベートーヴェンの生地として観光客を集め、45年間、西ドイツの首都として機能してきたのである。それが突然、首都という称号を取り去られ、元の眠ったようなライン河畔の小都市に戻れと、言われているのである。ボン市民の胸中は複雑であるに違いない。

 ベルリンもまた戦後、複雑な歴史を歩んできた。東西の冷戦の象徴のように分断されて、30年近くも市民は引き裂かれ、家族や友人達は離ればなれの生活を余儀なくされてきたのである。

 私が高校生活を送った60年代の前半はその冷戦のピークであり、毎日のように東から西と壁を越えて逃亡する人が後を断たず、数々の悲劇的な事件が起こっていた。

 とにかく、1961年8月、ある日突然にベルリン市のド真ん中にソ連軍、東独軍の戦車出動し、壁を構築し始めた。その日もいつも通り、その壁が作られていた場所を通って午前中に東ベルリン地区へ出勤したり、通学、買い物に行っていた市民は、そのままそれ以来、十数年帰れず、という信じられない出来事が起こったのである。文字通り家族、兄弟、夫婦が壁により引き裂かれた。

 当時、私の通っていた高校では、毎月、オストパケートなるものを東側に送っていた。これは「東への荷物」という意味で、我が学校でも兄弟、親戚が数多く東へ取り残されていたため、彼らに当時から東側では不足している日用雑貨を送るのである。あまり高価な物や質の良い物は境界で東側の兵に抜き取られるという事で、贈り物は自然粗末な物に限られていた。それでも彼らから来る感謝の手紙を見ると、それらの雑貨類は大いに役立ったようである。

 このように、東西冷戦の犠牲になったようなドイツは、もう一つナチスドイツの亡霊という悪夢と戦わなければならなかった。

<次回へ続く>

2007.06.22 Friday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第7回 その4)

都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第7回 その4)

 辛口ハーモニーは1990−91年ごろに書いたコラムです。したがって今読むと何だかおかしい感じのするところもありますが、ご容赦を。
たとえばブッシュ大統領といえば今のブッシュの父親だし、湾岸戦争も今のイラク戦争とは違います。
しかし読んでゆくと今の情勢とまったくオーバーラップしてきます。
人間は歴史からあまり学ばないものですね。憲法問題も最近よく議論されますが、16年前はまだマスコミもそれほど取り上げない時代でした。

日本はこの15年でどのくらい変ったのか、日本の政治は、外交は?
それらを比べながら読むとかんがえさせられるものがあります。

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辛口ハーモニー(7)「豊かさの実感とは!?」(その4)

 世界の大都市で今や人の笑顔を見ることは少なくなってきた。デパートへ入っても、タクシーに乗っても、人々の目は殺気立っているようにも見える。皆それぞれ自分で生きて行くのに精一杯、人のことなど全く気にしていられない、と言うのが正直な所だろうか。

 日本からこれらの都市に出かけて行くと、尚更それを強く感じる。よくアメリカ人が50年代を振り返り、懐かしく言う。

「あの頃は、人は人のことをCAREしていた」

 つまり人がいつも他人の事でも気にかけていた≠ニいうのである。もうそんなアメリカは少なくとも大都市では見ることはできない。

 日本人は、よく世界の中の日本と言いつつ自分達がどのレベルで、世界のどこにいるかの尺度を持たない。これは日本の進路を間違える可能性があるので危険である。

 豊かさの実感≠烽る尺度を持てば、また感じ方も違うようになる。また工夫をすることで大いに変るのである。また、この尺度を持つことにより、日本が世界の中で生きて行く上での今後の問題も見えてくる。

 最後に、日本人が精神的に豊かさの実感を得られないでいるとすれば、それは戦後、自らの文化を継承せずに捨ててきた所にあるのではなかろうか。

 人間にとって、自らの伝統、文化は、今の自分という存在の原点であり、一番自然なものなのである。それゆえ文化は財産であり、それなくしては自分を見失う。

 ヨーロッパの街々を見ると、常に近代化と伝統とが葛藤を繰り返している。ロンドンの道路は伝統的な街並みを保存するために道路拡張が出来ずいつも渋滞している。ドイツは戦後復旧において、焼けた街並みを復元するため、40年近くをかけた。

 効率の悪さや不便さは伝統の大切さから見れば、当然ガマンしなければならない、というこれらの都市の考え方は、我々日本人に何かを考えさせてくれている。

 伝統なくして人間の豊かさの実感はないのかもしれない。

<第七回・了>

2007.06.06 Wednesday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第7回 その3)

都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第7回 その3)

 辛口ハーモニーは1990−91年ごろに書いたコラムです。したがって今読むと何だかおかしい感じのするところもありますが、ご容赦を。
たとえばブッシュ大統領といえば今のブッシュの父親だし、湾岸戦争も今のイラク戦争とは違います。
しかし読んでゆくと今の情勢とまったくオーバーラップしてきます。
人間は歴史からあまり学ばないものですね。憲法問題も最近よく議論されますが、16年前はまだマスコミもそれほど取り上げない時代でした。

日本はこの15年でどのくらい変ったのか、日本の政治は、外交は?
それらを比べながら読むとかんがえさせられるものがあります。

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辛口ハーモニー(7)「豊かさの実感とは!?」(その3)


 日本が数字的に見て、社会資本の充実を図らなくてはならない事は明らかである。
しかし、数字と生活実感とは必ずしも一致しない事もまた事実である。

 
 日本の住宅整備や環境もよく欧米と比較される。ウサギ小屋や緑が少ない、土地が高い、などがいつも問題になる。これは原因がはっきりしている。日本は国土の七割が山地で人が住む土地が少ないのである。これは人口が日本の半分で、国土は日本よりやや小さいが山がほとんどなく、全土を使えるイギリスとは大違いだ。


 都市への一極集中化だが、これも我が国は伝統的に中央集権的な国であるし、歴史的にも地方分権の発達していたドイツや米国のようにはいかない。今後の多極分散論とは別に、現在もっと生活を快適にする工夫はないものであろうか。数字に惑わされて悲観するより現実を見て、その実体の中で工夫するほうが得策ではないかと思うのである。


 幸い日本人は金持ちである。日本の子供達を見ていると誰でも驚く。ロスアンジェルスでもニューヨークでもロンドンでも、原宿や渋谷を歩いている日本の中・高校生ほど豊かなファッションを楽しんでいる子供達は見たことがない。また、小学生が一万円を持ってゲームソフトを買いに行くという事を知ったらどの国の親も呆れるであろう。

 
これが正しいお金の使い方かどうかの議論は置いておいて、日本人は世界一のお金持ちであることは事実なのである。


 そのお金を有効に使えば、もう少し快適に暮らせるのではないだろうか。


 限られた住宅スペースを快適に装うことも出来る。それには日本の家具は高すぎるし、種類も少ない。快適なリビング空間を創る事には、まだやはり後進国である。これだけを見ても、アメリカやヨーロッパからはいくらでも安く物や技術は輸入できる。問題は日本の輸入障壁だけである。


 日本人が見過ごしがちなことに日本の技術水準の高さがある。日本の電話は世界一故障しにくい。日本のオーディオ、テレビが世界一な事は言うまでも無いが、各家庭はどこでもこれらをあたりまえに所有している。


 もう一つは日本の犯罪率が世界に比べ、極端に低いため各住宅はあまり防犯に気を遣わなくても良い。バリヤーを張りめぐらせている家もなければ、戸に鍵を四つも五つも付けている所もない。欧米では防犯も住宅コストの最も大きい要素である。


 物の豊かさより、心の豊かさを求めている、という。日本人は一体何を指して心の豊かさと言っているのであろう。
 家族の絆を持つことなのか、芸術を楽しむことなのか、平和を享受できる事なのか。
 どれを取っても日本は世界で最もこれらの事を実現している国なのである。

<次回へ続く>

2007.05.25 Friday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第7回 その2)

 辛口ハーモニーは1990−91年ごろに書いたコラムです。したがって今読むと何だかおかしい感じのするところもありますが、ご容赦を。
たとえばブッシュ大統領といえば今のブッシュの父親だし、湾岸戦争も今のイラク戦争とは違います。
しかし読んでゆくと今の情勢とまったくオーバーラップしてきます。
人間は歴史からあまり学ばないものですね。憲法問題も最近よく議論されますが、16年前はまだマスコミもそれほど取り上げない時代でした。

日本はこの15年でどのくらい変ったのか、日本の政治は、外交は?
それらを比べながら読むとかんがえさせられるものがあります。

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辛口ハーモニー(7)「豊かさの実感とは!?」(その2)

 日本人が数字や情報が伝えきらない諸外国の実態に疎いことは今更言うまでもない。マスコミが伝える諸外国事情は概して上辺だけをなぞっているケースが多い。あえてその記者自身の主観も入れて大胆に中身を分析しようという試みが中々無い。

 欧米先進国との実体比較をしてみよう。まず数字中心の代表格が、社会資本の整備である。

 よく日本の下水道の整備は欧米先進国の半分にも満たないという事が言われる。確かに数字上はそうであろうが、例えばロンドンに住んだ人は必ず経験する事の中に水道の水の汚れ、水道管の故障がある。特に前世紀に完備された中心街の水道は、日本人的感覚ではとても汚くて飲むことは出来ない。

 そのために強い消毒用のカルキを含んだ水になり、ロンドンではハード・ウォーターと言って、これで髪を毎日洗っているとゴワゴワになるほどである。このために私は特殊なソフトナーという機械を入れて、ろ化して水道を利用するようにしている。

 ロンドンの地下鉄も今世紀の初頭には既に完備されていた。第二次世界大戦中は市民の防空壕として大いに利用されてきた。さすが大英帝国と言ったところである。しかし現在を見てみると、そのトンネルの口径が今日のスタンダードより遥かに狭い。近代車輛の搬入が難しく、駅の設備も古い。深度も深いために改良することが甚だ困難らしい。

 ニューヨークのマンハッタンのタクシーに乗った方は、まずそのタクシーの運転手の無愛想なことに驚くだろうが、走り出すと通路の整備の悪さ舌を噛まないかと心配になる。そのくらいマンハッタンの道路は凸凹である。道路のゴミは散らかり放題だし、最近のニューヨークは何となくクサイ。

 確かに公園は多いが、その公園も恐ろしくて近寄れない。殺人の発生率は世界一。犯罪発生率を10%減らすのには、警察力を現在の二割強、増やさなければならないらしい。ニューヨークにそんなお金は無い。破綻状態のニューヨークの財政では今世紀中は主要道路の修復も不可能とのことである。

<次回へ続く>

2007.05.09 Wednesday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第7回 その1)

辛口ハーモニーは1990−91年ごろに書いたコラムです。したがって今読むと何だかおかしい感じのするところもありますが、ご容赦を。
たとえばブッシュ大統領といえば今のブッシュの父親だし、湾岸戦争も今のイラク戦争とは違います。
しかし読んでゆくと今の情勢とまったくオーバーラップしてきます。
人間は歴史からあまり学ばないものですね。憲法問題も最近よく議論されますが、16年前はまだマスコミもそれほど取り上げない時代でした。

日本はこの15年でどのくらい変ったのか、日本の政治は、外交は?
それらを比べながら読むとかんがえさせられるものがあります。

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辛口ハーモニー(7)「豊かさの実感とは!?」(その1)

〜日本人は常に満足することだけを追い求めて
         何が一番大切なのかをすっかり忘れている!〜

 経済企画庁が‘91年5月に発表した国民生活指標によると、日本社会は相変わらす経済だけが突出しており、国民の生活は決して豊かではないという事である。ここ数年言われている豊かさの実感がない≠ニいう事であろう。
 
 確かにマスコミの報道を見ると、ウサギ小屋も通勤地獄も交通渋滞も解決されていない。社会資本の遅れ、つまり公園、下水道完備の遅れもよく指摘されるところである。

 平均労働時間も欧米先進国のそれと比べ、はるかに長いし、有給休暇の消化率も低い。相変わらずの働きバチぶりである。

 こう見ると日本は救いようの無い経済大国のように見える。マスコミの取り扱い方は、いつも概してネガティブなのである。

 しかし果たして日本はそれほど豊かさのない国なのであろうか。豊かさの実感とは一体どういう事なのか。

 私の素直な疑問は、果たして何に対する実感、何と比べて実感がないのか、ということである。

 この実感という言葉自体とても曖昧であり、あくまで人間の主観であるので、その基準は定かではない。

 次に判断の基準が全て数字であり、その指数化されたものは合理的であり、分かりやすいかもしれないが、数字は人間の実感を素直には反映しない。むしろその数字を見て、それが日本人の実感だと解釈している。これは危険である。

 その点を考慮しってかは、定かではないが、アンケートなるものを実施している。その結果は、「日本人は物の豊かさよりも、心の豊かさを求めている」のである。

 これも意味が分からない。心の豊かさ≠ニは何を指しているのか、はっきりしない。

 結論から言うと、一言。日本は豊かなのである。もし日本人の生活が豊かではないなどと言ったら、それこそ世界中から怒られる。

 問題はその豊かさをどう感じるか。どう感じるように工夫をするかであり、豊かさを実感できない≠ネどというのはその工夫を忘れて文句を言っている事のように思う。

<次回へ続く>

2007.04.26 Thursday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第6回 その4)

辛口ハーモニーは1990−91年ごろに書いたコラムです。したがって今読むと何だかおかしい感じのするところもありますが、ご容赦を。
たとえばブッシュ大統領といえば今のブッシュの父親だし、湾岸戦争も今のイラク戦争とは違います。
しかし読んでゆくと今の情勢とまったくオーバーラップしてきます。
人間は歴史からあまり学ばないものですね。憲法問題も最近よく議論されますが、16年前はまだマスコミもそれほど取り上げない時代でした。

日本はこの15年でどのくらい変ったのか、日本の政治は、外交は?
それらを比べながら読むとかんがえさせられるものがあります。

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辛口ハーモニー(6)「外面よりももっと大切のモノ」(その4)

 最新のブランドファッションを着た日本の若い女の子が、ジャネット・ジャクソンを聞きながら真っ赤なBMWに乗っている。彼女と話すといつもニコニコしながらうなずく。しかし、彼女が何を考えているのか最後まで分からない。彼女は自分の意見や考えを滅多に言わず。いつも控えめで親切であるが、理解は出来ない。
 
これはあるアメリカ人青年の日本人の女の子に関する総括である。
  
 日本人にとって全てにおいて控えめである事は美徳である。人と人とのコミュニケーションにおいて、自分の気持ちを最小に表現するのはその延長であり、長い間日本社会を円滑に機能させてきた知恵でもある。
 
 しかしこの日本人の美徳も西洋的価値判断からすれば、ただ分かりにくい、何を考えているのか分からない存在になってしまう。

 ここまで進んでしまった日本社会の西洋化はもう後戻りは出来ない。またその外面と内面とのアンバランスが、日本社会をある意味で混乱させている。日本人自身が今、自分の日本人としてのアイデンティティを見失いかけている。今こそ日本人はこの新しい和洋折衷の日本文化≠フ中で、合理的西洋文化の何をどういう風に取り入れ、キープし、我々の中の日本人性のどれを捨て、何をキープするのか真剣に考える時なのである。

 世界の中で日本が文化的に認められる唯一の方法、それは日本人としてのアイデンティティを持つことである。古い日本に戻る事などもう出来はしない。また戻る必要もない。ただその古い日本から我々は何を継承し、この新しい西洋化した社会の中に取り込み、それを世界に誇れる日本文化として知らせるかを考えなければならないのである。

 冒頭の迎賓館に話は戻るが、仮に次にサミットが日本で開かれる時は京都か奈良でやったらどうであろうか。場所も二条城か、桂離宮、あるいは枯山水の庭園を眺めながら、各国首脳がゆっくりと語り合える竜安寺でも良いのではないか。またそうすることで毎回、何百人も押しかける外国のジャーナリストを通じて、世界各国に日本の古き文化の一端を紹介できたら、より一層の成果があがるのではないかとも思うのである。

 日本は伝統ある国である。しかし西洋の合理的システムをフルに取り入れ、活用している。東西の文化がもっとも理想的に融和した国である。

 これが今後の日本のアイデンティティであるべきではないだろうか。

<第6回・了>

2007.04.13 Friday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第6回 その3)

辛口ハーモニーは1990−91年ごろに書いたコラムです。したがって今読むと何だかおかしい感じのするところもありますが、ご容赦を。
たとえばブッシュ大統領といえば今のブッシュの父親だし、湾岸戦争も今のイラク戦争とは違います。
しかし読んでゆくと今の情勢とまったくオーバーラップしてきます。
人間は歴史からあまり学ばないものですね。憲法問題も最近よく議論されますが、16年前はまだマスコミもそれほど取り上げない時代でした。

日本はこの15年でどのくらい変ったのか、日本の政治は、外交は?
それらを比べながら読むとかんがえさせられるものがあります。

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辛口ハーモニー(6)「外面よりももっと大切のモノ」(その3)

‘91年の3月、青山スパイラルホールで、実にユニークなミュージカルを観た。“Forbidden Japanese Musical”。これは’90年、英国で賞をとった“禁断の日本のミュージカル”と言う題がついている。高平哲郎氏の脚本、演出も見事であったが何よりもその目の付け所が面白い。

 つまり、戦後日本が欧米を真似て作ったり、演じてきたミュージカルをいくつも並べて、それらの歌、踊り、衣装を通じていかに日本人がアメリカ人やイギリス人を真似て、それになりきろうと努力をし、それがいかに欧米人から見て滑稽であるかをアメリカのテレビ番組が特集番組を作って紹介していると言う設定になっている。

 しかし、それを実際にやっている日本人達はそれが滑稽だとは思ってもいない。真剣にカツラを被ったり、カウボーイになったり、一所懸命、欧米人になりきろうとしている。と言う皮肉たっぷりな内容である。これはまさに日本の社会そのものを風刺しているものである。また、作者の意図もそこら辺のあるものと思われる。

 しかしこのように金髪のカツラを被り、西洋の歌を歌い、西洋人になりきろうとしているように見える、日本へやってきた西洋人は日本社会のあまりにも日本人的な事に例外なく戸惑う。表面があまりにも西洋的であるから尚更である。これが日本が“不可解で理解できない”一番の原因である。

<次回へ続く>

2007.03.26 Monday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第6回 その2)

辛口ハーモニーは1990−91年ごろに書いたコラムです。したがって今読むと何だかおかしい感じのするところもありますが、ご容赦を。
たとえばブッシュ大統領といえば今のブッシュの父親だし、湾岸戦争も今のイラク戦争とは違います。
しかし読んでゆくと今の情勢とまったくオーバーラップしてきます。
人間は歴史からあまり学ばないものですね。憲法問題も最近よく議論されますが、16年前はまだマスコミもそれほど取り上げない時代でした。

日本はこの15年でどのくらい変ったのか、日本の政治は、外交は?
それらを比べながら読むとかんがえさせられるものがあります。

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辛口ハーモニー(6)「外面よりももっと大切のモノ」(その2)

ある調査によると、日本の企業のロゴの90パーセントが、横文字またはカタカナである。
最近各地で相次いで設立されているFM局の番組のほとんどが、朝から晩まで英語DJである。曲紹介は当然のこと、交通情報からニュースまでである。

現在、ヒットチャートの曲目で日本語を見出すのは難しい。例えそれが日本語であっても歌唱法からそれが日本語であることを聞き取るのは非常に困難である。

今や日本家屋は職人がいなくて建てられないし、下駄や草履創造はもはや伝統工芸になりつつある。

女性もだんだん正座が出来なくなってきており、たまに料亭へ行ってもカラオケばかりであり、三味線などめったに聞こえてこない。芸者さんの中でも日本舞踊が踊れて三味線が弾ける人はもうすぐ天然記念物になるのではないだろうか、などと心配する声も聞かれるようである。

そもそも日本人は明治時代、痛いのをガマンしてこれも文明開化だと無理をして靴を履いた。今の子供たちに下駄を履けと言ったら、足が痛いと泣くそうである。あの懐かしい親指と人差し指が離れている日本人の足は、我が世代ぐらいでこの世の中から姿を消していく運命にあるようだ。

とにかく衣食住、日本人の西洋化を例えにあげていてもキリがない。問題は前述した表面的西洋化に比べて、日本人の中身はどうかという事なのである。つまり表面的にはありとあらゆるものを取り入れ、それに順応しているように見えて実は日本人の深層心理は、それほど変化していないのである。

物質的にはあらゆるものを取り入れ、それに馴れる事は出来ても何百年もの間、受け継いできた習慣・考え方というものは一朝一夕で変えられるものではない。さらに一番の問題は日本人自身がそれに気付いていない事である。

<次回へ続く>

2007.03.12 Monday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第6回 その1)

辛口ハーモニーは1990−91年ごろに書いたコラムです。したがって今読むと何だかおかしい感じのするところもありますが、ご容赦を。
たとえばブッシュ大統領といえば今のブッシュの父親だし、湾岸戦争も今のイラク戦争とは違います。
しかし読んでゆくと今の情勢とまったくオーバーラップしてきます。
人間は歴史からあまり学ばないものですね。憲法問題も最近よく議論されますが、16年前はまだマスコミもそれほど取り上げない時代でした。

日本はこの15年でどのくらい変ったのか、日本の政治は、外交は?
それらを比べながら読むとかんがえさせられるものがあります。

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辛口ハーモニー(6)「外面よりももっと大切のモノ」(その1)
〜西洋化傾向が強まる最近の日本だが、
     現在自分が置かれている状況を考え直してみては…〜

 先月のゴルバチョフ・ソ連大統領の訪日のしめくくりとして、難産の末、作られた共同声明の調印式をテレビで見ていた。
 共同声明の内容はともかくとして、私が気になったのは、テレビに映しだされた、調印式のとり行われた部屋である。もしこれをビデオに撮って世界中の誰に見せても、十人が十人、これはどこかヨーロッパの国で行われている調印式だ、と答えたであろう。

 これは当然、東京赤坂の迎賓館で行われたものであるが、まわりの壁や天井からさがっているシャンデリア、調印のテーブルまで、まさにどこかヨーロッパの宮殿の一室である。テレビを見ながら、私はなにか不思議な気持ちがした。
 
 明治以来、ヨーロッパに追いつけ追いこせと、我々日本人はなんでも欧米から取り入れ、日本を捨ててきた。ヨーロッパからなにもかも取り入れることが文明開化であり、日本を捨てることが、進歩であり発展であった。この傾向は今日もなお、日本の社会に脈々と生きているのである。

 赤坂の迎賓館もそんな中で、フランスの名宮ベルサイユ宮殿をモデルに建てられたのであり、ヨーロッパに似ていてあたり前なのである。
 しかし、これを迎賓館をおとずれる各国の賓客の立場から見ると、さぞかし奇妙なものなのではあるまいか。たとえば、フランスのミッテラン大統領がサミットで訪日した際もここに泊まった。はるばる日本へ来て、自国の宮殿のイミテーションに迎えられる。他のヨーロッパの首脳も、自分の国にいくらでもあるようなバロック建築の宮殿に宿泊させられる。なにか奇妙な感じがするのではあるまいか。

 さらに、それらの首脳に同行する取材陣、特にテレビ報道を通じて映し出されるこれらの光景を見る、各国の国民はどう思うのであろうか。ますます日本という国の素顔が見えなくなるのではないかとも思うのである。
 「日本人は不可解だ。理解できない。」という外国の意見をあたり前なのである。今の日本及び日本人は、少なくとも表面的には日本人としてのアイデンティティがない。そして、この傾向はますます進んでいるのである。この表面的にというのはもちろん容姿、身体的特徴のことではない。日本社会のすべての部分に浸透していて、これを表面的に覆いつくしている西洋化現象のことである。

<次回へ続く>

2007.03.02 Friday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第5回 その4)

辛口ハーモニーは1990−91年ごろに書いたコラムです。したがって今読むと何だかおかしい感じのするところもありますが、ご容赦を。
たとえばブッシュ大統領といえば今のブッシュの父親だし、湾岸戦争も今のイラク戦争とは違います。
しかし読んでゆくと今の情勢とまったくオーバーラップしてきます。
人間は歴史からあまり学ばないものですね。憲法問題も最近よく議論されますが、16年前はまだマスコミもそれほど取り上げない時代でした。

日本はこの15年でどのくらい変ったのか、日本の政治は、外交は?
それらを比べながら読むとかんがえさせられるものがあります。

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辛口ハーモニー(5)「湾岸戦争の傷跡と日本の立場」(その4)

 この湾岸戦争で日本が得たもの。それは90億ドルの支払いとそれに関連する増税。アメリカ政府に対する借りと彼らからのあきれ顔、アメリカ国民の日本に対する悪感情である。
 バカバカしい話である。しかしこれはすべて日本のリーダーたちの国際感覚の欠如、国際社会への無知から生まれたものなのである。

 湾岸戦争後、ブッシュ大統領の訪日は中止され、自民党幹事長の中東訪問もことわられ、さらに戦後処理において日本はより以上の義務を求められることは確実である。日本政府はこれまたお金のバラまきでのりこえようとする。というよりそれしかノウハウがないわけであるが、そのツケは全部国民にシワ寄せされる。

 やり方によっては、90億ドルを支払って大いに感謝され、いろんな意味での人的派遣も可能であったに違いない。ただいたずらにアメリカの顔色をうかがい、自国の憲法解釈論議をはじめ、意味のない言葉の遊びに終始し、常にその対応が後手後手に廻った日本の政治家の責任は、果たして追及されるのか。マスコミをはじめ、日本の言論もまだこのことに対し声は小さい。

 日本にいまいちばん必要なもの、それは国際的にコミュニケートできる政治家である。世界と対話できるリーダーシップである。
 日本の経済発展は世界の中で行きつくところまで行きついた。これからは国際外交なくして日本の生存はあり得ない。

 今回の湾岸戦争でこの部分、日本に大きく欠如していることを我々は知らされたのである。
 しかし政治家を選ぶのは国民である。我々国民もこの点を大いに反省し、これからのリーダーを選ぶべきであろう。

<第5回・了>

2007.02.15 Thursday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第5回 その3)

辛口ハーモニーは1990−91年ごろに書いたコラムです。したがって今読むと何だかおかしい感じのするところもありますが、ご容赦を。
たとえばブッシュ大統領といえば今のブッシュの父親だし、湾岸戦争も今のイラク戦争とは違います。
しかし読んでゆくと今の情勢とまったくオーバーラップしてきます。
人間は歴史からあまり学ばないものですね。憲法問題も最近よく議論されますが、16年前はまだマスコミもそれほど取り上げない時代でした。

日本はこの15年でどのくらい変ったのか、日本の政治は、外交は?
それらを比べながら読むとかんがえさせられるものがあります。

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辛口ハーモニー(5)「湾岸戦争の傷跡と日本の立場」(その3)

 “もっとも中東石油に依存している日本のために、アメリカの若者が血を流す”という主張は、まるで合言葉になったみたいである。ブッシュ大統領のシナリオの中で、日本に対する戦後の最も効果的な切りふだである。

 ここでいつもふり出しにもどってくるのが日本の憲法議論である。憲法第九条は、今日、あまりいろいろに使われ、引っぱられ、こすられ、まるですりきれたボロ雑巾のようである。
 昨年夏、この湾岸戦争のおきた時点で各国の対応が議論される中で、アメリカにおいてすでに、日本の憲法第九条について、知日派といわれる国会議員の間で論じられていた。

 彼らはたびたびマスコミに登場し、自論を展開していたが、そろって当然のように“あの当時
(マッカーサー占領時)日本に再武装をさせないため、アメリカ占領軍主義であの九条を規定したわけである”という歴史的事実を認め、その上で、“日本の海外紛争に対する人的派遣に憲法上、制約を設けた責任の一端は我々にもある” したがって、アメリカとしては一方的に日本に対し、憲法上の制約をせめるわけにはいかないというのである。しかも成立過程はどうであれ、他国の憲法をどうのこうのいうわけにはいかない。

 しかし、アメリカの国民感情はこのような歴史的事実や法律上の解釈にはあまり関心がない。また理解もしていない。彼らのイメージにあるのは日本はまた、お金だけ出して血も汗も、そして今回は涙も流さない、ということだけである。

 ここで一番重要なことは、日本の立場、考え方の説明であるが、これが日本の政治家からはまったくない。アメリカをはじめとする世界にアピールしたり、コミュニケーションをはかろうとする人が日本にはいないのだ。

 これはまったく不思議というしかない。前述のようなアメリカのマスコミでもとり上げられている。憲法九条の成立に関する歴史認識、議論も聞こえてこない。ただひたすら条文を好き勝手に解釈し、こねくり回しているだけである。あとはただ“平和、平和”の連呼である。もし世界がそんなに平和な人ばかりだったら、サダム・フセインは出てこないのである。 

次回へ続く

2007.01.29 Monday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第5回 その2)

辛口ハーモニーは1990−91年ごろに書いたコラムです。したがって今読むと何だかおかしい感じのするところもありますが、ご容赦を。
たとえばブッシュ大統領といえば今のブッシュの父親だし、湾岸戦争も今のイラク戦争とは違います。
しかし読んでゆくと今の情勢とまったくオーバーラップしてきます。
人間は歴史からあまり学ばないものですね。憲法問題も最近よく議論されますが、16年前はまだマスコミもそれほど取り上げない時代でした。

日本はこの15年でどのくらい変ったのか、日本の政治は、外交は?
それらを比べながら読むとかんがえさせられるものがあります。

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辛口ハーモニー(5)「湾岸戦争の傷跡と日本の立場」(その2)

 ブッシュ大統領は、アメリカ議会での演説をはじめ、ことあるたびに、“アメリカこそ、世界で唯一、世界の平和維持のため、正義のために軍事力を行使できる国である”と力説している。
 ブッシュ大統領のシナリオは二通りである。
 ひとつはレ−ガン時代からひき続き、アメリカ国民に彼らの好きな“強いアメリカ”“世界に冠たるアメリカ”を認識させること。
 もうひとつは物質的にも、道義的にも世界に、特に西側の同盟国に貸しを作ることである。
 特に経済的にもおされ気味で、各種のマサツのある日本に対しても貸しをつくる絶好のチャンスで
ある。

 過去十数年、いろいろなジャパンバッシングはあったが、アメリカとしては決定的な大義名分にこと欠いていた。いまこそ、それを手にしているのである。
 彼らは日本の国際紛争に関する憲法上の制約、そして何よりも国際関係に対し、日本政治が無知であることを承知の上で、日本をつついて来る。
 いまさらいうまでもないが、今回の湾岸戦争に対する対応では、日本の政治家、日本の政府は、その国際、外交オンチぶりを見事に露呈した。
 経済大国だとおだてられ、お金をバラまくことはできても、お金だけでは解決のつかない今回のような状況になると、まったくどうして良いのかわからない。対応のすべもない。

 今回の紛争対応に関する政府首脳のマスコミに対する発表だけを見ても、イラクの侵攻直後からみてみると、
 “このような暴挙に対して、イラクに厳重に抗議したい”(首相)
 “各国の対応を注意深くみまもりたい”(外相)
 “一日も早く平和的に解決を”(首相)
 あいかわらずあたりまえなことをまじめに発言するだけである。
 イスラエルにスカッドミサイルが打ち込まれ、イスラエルが参戦するかどうか緊迫していた頃、日本政府の対応についての問いに対して、
“イラクに対し、人道的立場より抗議する”
 “アラブ各国の動向を、注意深くみまもりたい”
 “欧米の動きを注視したい”
 いいかえれば、
 “我々は何をして良いのかわからないので、ただ見ているだけです”
 ということである。

 あげくの果てに90億ドルもの追加援助を支払うことになる。国会ではその使い道を限定するという、意味のない議論つづく。戦費の総額は決まっていて、その費用を各国で分担するわけであるが、野党のいっていることをまともに実行すると、90億ドルのお札に印をつけて、それを後方支援だけに支払う、
というようなことになる。

 このような冗談みたいな話が我が国の国会でまじめに議論されている。それが全米でもマスコミで取り上げられ、失笑をかう。あげくの果てに日本政府も国務省に頼み込み、日本の支援金は後方支援に使われる、と発表してもらう。アメリカ側も、それで90億ドルすんなり出てくるのであれば、とタトワイラー報道官を通じて発表する。日本政府はホッとする。しかし90億ドルを支払った上にアメリカに借りを作ることになる。金銭的援助だけを行う日本に対する風当りはますますつよまっていった。

次回へ続く

2007.01.19 Friday
【Diary】 年頭のご挨拶

新年あけましておめでとうございます。

今年は本職の作曲もさることながら、文筆にも力を入れてゆく所存です。
どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

4月からは、ブログにて新連載も開始する予定です。
詳しくは、改めてお知らせいたします。

本年も、皆様のご健康・ご多幸を心よりお祈り致します。

                      都倉俊一

2006.12.18 Monday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第5回 その1)

辛口ハーモニーは1990−91年ごろに書いたコラムです。したがって今読むと何だかおかしい感じのするところもありますが、ご容赦を。
たとえばブッシュ大統領といえば今のブッシュの父親だし、湾岸戦争も今のイラク戦争とは違います。
しかし読んでゆくと今の情勢とまったくオーバーラップしてきます。
人間は歴史からあまり学ばないものですね。憲法問題も最近よく議論されますが、16年前はまだマスコミもそれほど取り上げない時代でした。

日本はこの15年でどのくらい変ったのか、日本の政治は、外交は?
それらを比べながら読むとかんがえさせられるものがあります。

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辛口ハーモニー(5)「湾岸戦争の傷跡と日本の立場」
〜経済成長を遂げた我が国には世界のリ−ダ−シップをとるための積極的な外交を望みたい〜


 湾岸戦争は、アメリカをはじめとする多国籍軍の圧倒的勝利で終わった。全世界が戦勝気分である。
 ブッシュ大統領の企画した、悪者サダム・フセイン対全世界の対決という構図はマスコミを 湾岸戦争は、アメリカをはじめとする多国籍軍の圧倒的勝利で終わった。全世界が戦勝気分である。
 ブッシュ大統領の企画した、悪者サダム・フセイン対全世界の対決という構図はマスコミを通じて、見事に全世界に宣伝され、そのコンセンサスを得たようだ。 結果、アメリカのリーダーシップにより、全世界が悪者サダムをこらしめたというシナリオは完結した。アメリカの外交の大勝利でもある。
 90年8月にはじまったこの湾岸紛争は91年1月17日の多国籍軍の攻撃により本格的な戦争に突入したわけであるが、その間マスコミは挙(こぞ)って、“ブッシュ大統領の政治的危機”や、“ブッシュの政治生命を左右する決断”と書きたてた。
 しかしこの戦争ほど、はじまる前から結末の見えている戦争は、歴史上まれであった。しかもその経過は逐一マスコミにより、全世界に同時放送される。圧倒的な軍事力によりイラク軍をたたきつぶす。
問題はいかに素早く、スマートに、死傷者も少なく勝利するかだけである。
 多少のリスクはあったにせよ、1月17日以前から、この戦争のシナリオを書くのはアメリカにとっては容易なことであった。というよりも、ブッシュ大統領にとっては、このイラクのクウェート侵攻という出来事は千載一遇のチャンスであったのかもしれない。
 ベトナム戦争以来、20年近く政治的、経済的にも低迷しているアメリカにとって、いまこそ国威を高揚し、世界にアメリカの力を知らしめる絶好のチャンスである。アメリカから見ると、とるにたらない軍事力しかもっていない中東の国が罪をおかした。アメリカとしてはいかに、効果的に、ドラマチックにこの悪者に対して、世界の警察官としての役目を果たすか、である。


次回へ続く

2006.12.04 Monday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第4回 その2)

辛口ハーモニーは1990−91年ごろに書いたコラムです。したがって今読むと何だかおかしい感じのするところもありますが、ご容赦を。
たとえばブッシュ大統領といえば今のブッシュの父親だし、湾岸戦争も今のイラク戦争とは違います。
しかし読んでゆくと今の情勢とまったくオーバーラップしてきます。
人間は歴史からあまり学ばないものですね。憲法問題も最近よく議論されますが、16年前はまだマスコミもそれほど取り上げない時代でした。

日本はこの15年でどのくらい変ったのか、日本の政治は、外交は?
それらを比べながら読むとかんがえさせられるものがあります。

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辛口ハーモニー(4)「湾岸戦争が世に問うたモノ」
〜正義とはなにかを追求していくと、そこに見えてくる答えに戦争の勝ち負けなどはなく・・・〜
 

 こうまで世界的な風潮が「善い人と悪い人」をはっきりと決めつけ、あの圧倒的な軍事力の差を毎日のようにテレビで目のあたりにし、自殺行為とも見えるイラクの反抗を見ていると、ひとつここで頭を冷やして、この戦争とはいったいなんなのか、誰のための戦争なのか、アメリカ、イギリスの唱える正義とはなんなのか、考えたくなるのも人情である。
 そこで、こういう状況では顧みられない歴史的な常識を書いて見たいと思う。
 現在、アメリカのブッシュ大統領のいう正義とは、第二次世界大戦後45年間の力のバランスの上に成り立ってきた世界のルールを基本に考えた正義である。
 また今日、冷戦構造は終結したとはいえ、戦後の世界を政治的、経済的、また軍事的にリードしてきた欧米を中心とするキリスト教文化を基本とする正義でもある。
 今日の戦争の大義名分は国連決議の遂行ということであるし、我が日本もお題目のように“国連中心主義”を繰り返し強調するが、この国連の成立も第二次大戦の戦勝国の力のバランスによって成立した。
 戦後、ヤルタ体制を基本に成り立っている国際社会の正義も、しょせんは力により成り立った正義だということも我々はここで思い出さなければならない。
 戦後、各国の権益を守るために多くの武力行使がなされた。その行使が、軍事的、経済的先進国であった場合、その行為は容認されてきた。多くの場合、これらは核兵器保有国であり、国連の常任理事国である。これがまぎれもなく戦後半世紀の国際社会の歴史である。
 このような事実は歴史的に明白であるにもかかわらず、あまり議論されない。このような戦後体制に対する疑問は一旦、議論されはじめると果てしないからである。はては、帝国主義時代の植民地政策にまで話がさかのぼってしまう。
 とすると、今世紀初頭からの欧米の中近東の権益争い、石油をとりまく様々な利害関係をテーブルの上にのせなければならない。ここで果たしてどの国が“正義”を論じられるかはなはだ疑問になってくるのである。
 ここで、私は別にサダム・フセインを弁護するつもりはない。むしろ彼が秩序を個人的な野望のもとに乱し、自らの人民をギセイにし、クウェート人を虐待したことは大いに糾弾され、裁かれるべきだと思う。
 しかしながら、毎日のように戦争の実況中継の中であまりにも欧米的“正義”が主張されると、はたして結果的にこのひとりの独裁者を取り除く目的のため、多くの人民の命がギセイになることが正義なのか、と疑問がわいてくる。戦争に正義はあり得ないことは歴史が証明している。
 我が国は第二次大戦以後、この欧米的正義を受け入れて来た。確かに民主主義という思想は、自由、平等、博愛というキリスト教文化の上に高度に発達した社会システムであることはまちがいない。
 我々も太平洋戦争という大きなギセイを払って今日、平和的国家を築いてきたのである。しかし地球上には我が国のような経験をしていない、欧米とはまったく異なった歴史、文化を持つ国々がたくさんある。それらの国は先進諸国から見れば、はなはだ、未開な、遅れた文明社会と映るかもしれない。
 しかし、そんな彼らに、欧米的基準、ルールをおしつけても、争いは理解出来るものではない。現在の先進民主主義社会にしても、時間をかけて発達して来たのである。彼らに対しても時間を与えることが絶対に必要なのである。
 イソップの寓話にあるように、風は旅人のコートを脱がせようと、ますます強く吹きかける。風が強くなればなるほど、旅人はコートを離すまいと、しがみつく。
 太陽が逆に、暖かさをおくれば、彼は自然にコートを脱ぐのである。
 西洋医学は患部を切除することにより、体をたすけようとする。それに対し、東洋医学では、ハリ治療などに見られるように、患部の周りにあらゆる工夫をこらし、その患部の自然治癒を待つ。
 手術によって、たとえ患部は切り取っても、そこに一生みにくい傷跡が残る。この傷跡がのちのち、体のバランスをくるわせる可能性もある。
 欧米的価値基準は絶対であり、そのルールに反する者は力で排除するという考え方は、その基準がいかに正しくとも、それを理解できない人々の目には、単なるエゴとしか映らない。
 この湾岸戦争は、アラブ人民の心に大きな傷跡を残したことだけはまちがいない。
                               
                                             <第4回・了>

2006.11.17 Friday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第4回 その1)

辛口ハーモニーは1990−91年ごろに書いたコラムです。したがって今読むと何だかおかしい感じのするところもありますが、ご容赦を。
たとえばブッシュ大統領といえば今のブッシュの父親だし、湾岸戦争も今のイラク戦争とは違います。
しかし読んでゆくと今の情勢とまったくオーバーラップしてきます。
人間は歴史からあまり学ばないものですね。憲法問題も最近よく議論されますが、16年前はまだマスコミもそれほど取り上げない時代でした。

日本はこの15年でどのくらい変ったのか、日本の政治は、外交は?
それらを比べながら読むとかんがえさせられるものがあります。

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辛口ハーモニー(4)「湾岸戦争が世に問うたモノ」
〜正義とはなにかを追求していくと、そこに見えてくる答えに戦争の勝ち負けなどはなく・・・〜

 1991年の1月17日、私はニューヨークのニューアーク空港のラウンジで、搭乗案内を待っていた。ラウンジのテレビでは、その前数週間と同様、いつアメリカを始めとする多国籍軍がイラクに進攻するか、いつ戦争がはじまるのかという話題ばかりである。
 この頃にもなると、西側の報道陣はことごとくイラクを引き払い、アメリカのCNNの記者ほか数人がバグダッドに残るのみであった。
 ニューヨーク時間で午後7時30分、私のロンドン行きの搭乗案内がアナウンスされ、私は飲みかけのビールをおいて席を立った。ちょうどその時、ラウンジのテレビの前に人だかりがして、たまたま映っていたCNNテレビのアナウンサーがなにか大きな声で話している。
 私は時間もないのでそのまま搭乗し、離陸前に機長のアナウンスで、ようやく多国籍軍がイラクに爆撃を開始したことを知った。
 ロンドンに着いて“ホッ”とする間もなくヒースロー空港にはタンクが出勤していて、モノモノしい雰囲気である。
 タクシーの運転手との話も、もっぱら戦争のこと。彼は興奮気味にまくしたてた。
「やっと、あのフセインの目にものを見せてやる時が来たんですよ。人の国に勝手に進攻して、自分の国の一部だといいやがる。我が軍(Our Boys)が痛い目にあわせてやりますよ」
 彼の愛国的な演説は、メイフェアー地区の我が家に着くまで続いた。
 家でテレビをつけても、やはりこの話でもちきりである。多国籍軍の電撃的な戦果が、画面をかざっている。
 ニュースのコメントもR・A・F(女王陛下の空軍)の勇気ある出撃を絶賛しつつ、イギリスの世界に対する責任を力説している。大英帝国いまだ健在、という印象である。
 おもえばアメリカでも、この湾岸危機に関してはこの半年の間、積極論と消極論とに大きく分かれていた。上下両院の戦争の賛否を問う決議でも、かろうじてブッシュ大統領は信任を得たのであるが、民主党を中心とする反対意見はなお根強く、国論は真っ二つに分かれていたのは事実である。
 ところがいざ開戦となると、あらゆる消極論は姿を消して、国論はまさに戦争支持一色である。民主党議員も、決まり文句のように
「我々の息子達、命をかけて正義を守ろうとしている我々の息子達を応援しよう」
 である。極論すれば、何か戦争に反対するのは裏切り者、という風潮すらあったようだ。
 アメリカの最大ネットワークの世論調査で、この戦争は“正義”の戦いであるのかどうかという問いに、80パーセント近くの人々が“正義の戦い(Just War)”と答えたそうである。これより多い支持率は、第二次大戦(89パーセント)だけであり、あの独立戦争ですら、60パーセント台であったことから、いかに現在のところ、このサダム・フセインという悪玉に対し、“正義”を行っているとアメリカ人が信じているかがうかがえる。
 我が国はご多分にもれず、相変わらず、世界の様子をうかがいながら、進路を決めてゆく。したがってなにを決めても、ワンテンポ遅れているため、世界からあまり評価を受けないという、いつものパターンを続けている。
 しかしながら、世界的な反イラクという旗は一緒に振っているわけで、これまたアメリカの“正義”を応援する立場である。

次回へ続く

2006.11.06 Monday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第3回 その3)

辛口ハーモニーは1990−91年ごろに書いたコラムです。したがって今読むと何だかおかしい感じのするところもありますが、ご容赦を。
たとえばブッシュ大統領といえば今のブッシュの父親だし、湾岸戦争も今のイラク戦争とは違います。
しかし読んでゆくと今の情勢とまったくオーバーラップしてきます。
人間は歴史からあまり学ばないものですね。憲法問題も最近よく議論されますが、16年前はまだマスコミもそれほど取り上げない時代でした。

日本はこの15年でどのくらい変ったのか、日本の政治は、外交は?
それらを比べながら読むとかんがえさせられるものがあります。

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辛口ハーモニー(3)「人と違うことの素晴らしさ」
〜集団生活を行う場合に“和”は不可欠であろうが、その中でも必要とされるのが個性なのだ〜

 S氏は昔からどちらかと言えば個性が強く、思っている事をはっきりと発言する方であり、あまり友人の多い方ではなかった。学校を出てある交響楽団にはいり指揮者として活躍を始めたのである。
 指揮者というと一見“和”を重んじ、団体をうまく統一するのが仕事のように思われているが、それはあくまで音を構成する上の事であり、人間関係ではそうではない場合が多いようだ。あのカラヤンでさえ、ベルリン・フィルの楽団員をして“カラヤンはいずれ去るがベルリン・フィルは永遠である”といわしめたくらいである。“指揮者に最低限、要求されることは独善的で横暴であることだ”と言ったのは先日なくなったバーンスタインである。“指揮者というのは孤独な職業である”というカール・ベームの言葉を思えばS氏にはむしろこの仕事は向いていたように思える。

 しかしS氏は日本を離れる決心をした。それは音楽的な行きづまりではなく、その背景にある日本の集団的協調性に対し、彼の個性がついて行けなかった事によるらしい。しかしそのS氏が持っている“個”が今日の彼をささえている事も事実である。芸術の世界にもある日本の“平均化”にS氏の個が埋没しなかった結果である。

 このような例は化学、医学、スポーツとあらゆる分野で見る事が出来る。いわゆる才能の流出である。このことは言われはじめて久しいが、私の見る限り教育の現場において根本的な変化は見られない。

 ある幼稚園の風景であるが、若い女性の先生が園児に話している。
「先生の言う事がわかりましたかタケシ君」
「ウン先生」
「“ウン”じゃないでしょ、ハイ、ワカリマシタ“でしょ。それではアキコちゃん」
「ハイ、先生」
「ちゃんとワカリマシタもつけましょうね」
「ハイ、先生ワカリマシタ」
 変った答えはいけない。クラスの中ではみな同じように考え、同じように答えなければならない。
 数年前、アメリカのテレビネットワークの取材班が日本の初等教育を取材した後のTVコメントである。
「彼らはまるで精密に設計され、磨かれた小さな歯車が正確に回転するように、教師の指導にしたがい、機敏に行動し、そして・・同じ・・よう・に答えるのであった」
 差別、不平等をなくすという事は民主主義社会として当然の努力である。しかしそれは人間の均一化を図る事ではない。人間は個性を持って生まれてくる。個性とは人と違うということである。その生き方、考え方も人と違うからその人の価値が生まれる。
 日本の社会も、画一的教育から脱し、“人と違う”という恐怖感をすて、人と違う“素晴らしさ”を教える時代に来ているのである。 

<第3回・了>

2006.10.23 Monday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第3回 その2)

1991年 月刊『小説City』(廣済堂出版)に連載したコラムより
この記事についての説明は、9/11の −はじめに− をご覧ください

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辛口ハーモニー(3)「人と違うことの素晴らしさ」
〜集団生活を行う場合に“和”は不可欠であろうが、その中でも必要とされるのが個性なのだ〜

 戦後の二大奇跡と言われるドイツと日本の経済発展は、よく比較され、時に並列に考えられる。お互いにアメリカの唱える自由と平等をかかげ、それまでの軍事的独裁から脱して民主主義の道をあゆんだ。
 しかしこの“平等”という民主主義の基本的な考え方は、わが国とドイツではかなり違っていたようである。わが国も当然、戦後この西洋的思想を受け入れ、それを実践してきたのである。
 しかし日本は歴史的にも伝統的にも家族的集団社会であり“個人”という概念が存在しにくいことは専門でもない私がいまさら言うまでもない。何よりもまず集団の利を優先し、“出る釘は打たれ”、“角を立てずに丸く”生活することが基本であった。
 それに対し“平等”とはあくまでも個人主義が前提にあり、“個人”という考え方が確立していて始めて成り立つ。

 また“平等” ”equality”という意味も含まれる。戦後45年の歴史の中で今日の日本の社会の中に“平等”がいつしか、“平均”“真平ら”に取り違えられている部分が多く見られる。つまり、西洋的な“平等”の精神が日本の伝統的な集団思考をベースに理解され、いつしか“平均”を取ることが善であるというふうにおきかえられて来たように思えるのである。

 確かに現在の我が国ほど貧富の差がなく、人種的、文化的争いにも縁がなく、あらゆる面で平等な機会を与えられている国は世界でも珍しい。しかしあまりにも上下、左右の差がなく、すべてある一定のワクの中におしこめてしまうと、その社会はある種の柔軟性を失う。人間の本能的な競争心、闘争心がそがれ、活力を失う。無気力な硬直した社会になってしまう。今日見られる社会主義諸国の崩壊がそれを示している。

 それと我が国を同列に考えるわけにはいかないが、日本で見られる中身のない高学歴社会、“出る釘は打たれる”式教育、社会制度は実に、伝統的な集団思考と、西洋的“平等”思想の折衷案的産物であり、これが今日の社会構造の平均化現象を、ますます進めているのである。
 私の友人で指揮者のS氏は現在ヨーロッパを中心に活躍している。日本を離れて早、20年だそうである。

 音楽を志す者にとってヨーロッパはやはり本場であるが、S氏の日本を離れた理由は少し違っていた。今振り替えれば彼の決断は大成功であったわけだが、20年前日本を出発する時は、傷心の出発であったらしい。

次回へ続く


2006.10.16 Monday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハ−モニ−(第3回 その1)

1991年 月刊『小説City』(廣済堂出版)に連載したコラムより
この記事についての説明は、9/11の −はじめに− をご覧ください

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辛口ハーモニー(3)「人と違うことの素晴らしさ」
〜集団生活を行う場合に“和”は不可欠であろうが、その中でも必要とされるのが個性なのだ〜

1967年、東京の日生劇場でベルリン・ドイツオペラの来日公演があった。当時ベルリン留学から帰国したばかりの私は通訳として雇われることになった。

 世界屈指のドイツオペラの公演でもあるし、ベルリンへのなつかしい想い出もあり、大学生であった私は採用が決まって大喜びであった。
 この時の来日メンバーは、最盛期のフィッシャー・ディスカウ、ソプラノのピラール・ローレンガー、指揮は、オイゲン・ヨッフム、ローリン・マゼールというそうそうたる顔ぶれであった。特に私はベルリン時代からの大ファンであった、フィッシャー・ディスカウの通訳につけないものかと密かに期待をしていたのである。

 通訳人は総勢25名。当時としてはかなりの高給であったせいか、大学教授クラスの方々もアルバイトとして参加されていた。
 それぞれの配置がすんだところで問題が起きた。有名ソリストやオーケストラ、事務局等の通訳にはさして支障はなかったのではあるが、大道具や衣装、職人の人々との意思の疎通がかんばしくないということである。どうやら通訳に問題があるらしい。
 その部署は某大学の講師をされていた方が担当されていたが、それなりのドイツ語を話す方であった。つまり彼らには絵に描いたようなベルリン方言しか話せないのである。
 ベルリンという都市は旧ドイツ帝国の首都であり、世界有数の大都市であったにもかかわらず、そこで話す言葉は方言とされていた。これは、ドイツ統一までの歴史によるものでもあろうし、ヨーロッパ王室の歴史にもかかわってくることでもあるが、ドイツのいわゆる標準語(ホーホ・ドイチェ)と言われるものは伝統的に、ニーダーザクセン州の州都であるハノーバーで話されるドイツ語とされている。
 ドイツではある程度の高等教育をうけた者はその出身地の方言と、この標準語を使い分ける。逆にこのホーホ・ドイチェを話せない人はあまり高等教育、つまりギムナジウムや大学教育を受けていないことがうかがえる。
 しかしその学校教育と、その人の持つ技術力(多くの場合は職人に見られる)、社会的地位、収入とは必ずしも一致しないのである。
 ドイツでは世界にも有名なマイスター制度というのがある。このマイスターになるために国家試験に受けることは至難の技であるという。このマイスターとはその人の学歴とは関係なく、バイオリン職人からコックにいたるまであらゆる業種においての熟練者に与えられる資格であり、大きな力、社会的地位を保証される。
 マイスターの下にはレアリンと呼ばれる準マイスターがおり、その下に時には何千人もの弟子を抱える職人としてのピラミッドの頂点に立つのである。
 このようにドイツでは社会の中でのその人の重要性と、受けた学校教育とは必ずしも一致しない。これはドイツ社会の持つ素晴らしい柔軟性であり、今日大きなエネルギーとなっている。
 かくして通訳人25人の中で唯一ベルリン方言の話せる私がそれまでのオーケストラ担当をはなれ、ありがたくも、職人さん達の担当となった。せっかく買ったスーツを脱いで、ジーパンに履き替え、それ以後60日間、劇場の奈落での生活がはじまったのである。

次回へ続く

2006.10.11 Wednesday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハーモニー(第2回 その3)

1991年 月間『小説City』(廣済堂出版)に連載したコラムより
この記事についての説明は、9/11の −はじめに− をご覧ください

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 素人の時代といえば、日本の国政政治、国際交流に対する認識、知識は素人の代表選手といえる。特に日本の政治家の国際御地、素人ぶりには、今度の中東問題であまりにはっきりとあらわれたようだ。特に安全保障という問題に関しては、政官民、総素人という感は否めない。
 どこかの野党がその昔、バイブルのように提唱していた非武装中立論から、最近の中東に派遣するマンパワー・自衛隊の議論まで、およそ国際社会の大人の論議からは、ほど遠いものである。
 国会では、やれ憲法違反だ、イヤ合憲だと家庭の事情に全神経を集中し、中東派遣法案が廃案になった事で野党は鬼の首を取ったように得意顔である。その間に世界はどんどん動いていってしまう。しかもその議論の間にイラク、クウェートの在留邦人を・・どう・・する・かという、具体的、効果的対策はまったく出ずじまい。

 いや、・・どう・・・すれば・・よい・の・か、がまったくわからない。日本が国際問題に巻き込まれたときの対応がまったくわからないわが国の政治家は、なすすべがない、というのが事実のようだ。
 日本の国際関係の前提は、人の善意というものをあてにした上に成り立っている。日本人はどこかに“われわれだけは特別”と思い込んでいるふしがある。これはわが国の文化の根底にある“甘え”という考え方なのである。何億円を積んだ車のガードマンもおよそ武器らしいものは持たず、連日のようにホテルやデパートで開かれている豪華な宝石や絵画の展示会も無防備同然である。日本人にとって世の中の人は皆“いい人”なのである。

 突然イラクの”悪い人”が日本人を人質に取るとわれわれは”どうして”とわからなくなる。わからないから、大人であるアメリカに理由を聞くと、「世の中には悪い人がいるんだよ。これが君たちが知らなかった大人の世界なんだよ」と教えてくれる。
 デモ「君はお金持ちの子なんだから少しお金を出しなさい」と言われる。すると日本は「わかりました。お金は出します。だからあとはやって下さいね。うちは家がきびしくて外に出られないから」となるべく家からでないようにする。

 十二月初旬に大阪での街の様子がテレビで紹介されていた。戦争に反対する婦人会が”日本の中東派遣に反対”という青い羽根運動をしていた。それに参堂しているという主婦に街頭インタビューすると、「戦争はイヤですね。なんでこんなに豊かで平和な日本があんな遠い所まで行って戦争に参加しなければならないのでしょう」と言っていた。
 これでは議論にならない。
 人質から解放された人たちの成田での会見が印象的であった。一番不安だった事は何ですか、という問いに、「日本政府の態度が日本人のわれわれにもよくわからなかった。日本の国が国際社会で早く、大人の会話が出来るようになってほしいと思う」
 つまり、日本政府の国際社会においての無力さをつくづく感じたというのである。
 日本は多民族社会が生み出す多様な価値観にまったく無知である。コミュニケーションの方法すらわからない。地球自体が1つの多民族社会であり、そこから生ずる様々な問題の中に世界中に進出している日本人は好むと好まざるとにかかわらず、巻き込まれる宿命にある。
 これらの人々を守るべきは、日本政府であり、こればかりは“素人の時代”などと言ってられない。どうにかしなければ日本の将来は大いに不安である。 

<第2回・了>

2006.10.02 Monday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハーモニー(第2回 その2)

1991年 月間『小説City』(廣済堂出版)に連載したコラムより
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 私の古くからの友人であるレコード会社の役員がいる。かつて70年代から80年代にかけて、一緒に多くのヒット曲を作ったものであるが、彼は現在もっぱら経営者としてその手腕を発揮している。
米国のレコード会社にはA&R部門というのがあって、日本ではこれを製作部と呼んでいたのであるが、最近、私のその友人の会社でA&R部というものを設けたそうである。

A&Rとは、アーティスツ・アンド・リリース。Artists and Release の略である。文字通り、アーティストを発見、管理し、そのレコードを発売する部門である。
 50年〜60年代の米国や、つい最近までの日本のレコード会社の製作部ディレクターの仕事とは、アーティストを発見し、育て、そのレコードを発売する、というものであった。ところがこの“育てる”事をなるべくはぶき、素材のまま一般大衆にその良さを聞いてもらおうというのがこのA&Rのねらいである。

 確かに昔のレコード会社には、自分の趣味だけを押し付け、やたらに権威をちらつかせるディレクターが横行した時代もあり、レコードデビューするチャンスは、きわめて限られていた。
 その点、今はこれだけレコード会社の門戸が開け、また、それだけ巷に才能や実力のある“素人”が増えたせいもある。そういう人に、どんどんレコードデビューのチャンスを与える事は結構な事である。しかしそれだけでは、多少不安を感じる。

 アメリカでは70年代以降、それまでサラリーマンであったプロデューサーが独立し、高い印税を取る、インディペンデント・プロデューサー(独立プロデューサー)として存在し、彼らが、素人バンド、歌手を発見し、音源を完成し、レコード会社のA&Rに売り込む。
 つまり音作りには、経験を積んだプロの手が十分にはいっているわけである。このインディペンデント・プロデューサーのシステムが確立していない日本においては、ただ、うたのうまい素人の音楽が、あまりにも気軽に商品として出まわる、という危険性もはらんでいるように思う。

 しかしこういう議論は甚だ体制的であり、あまりウケない。大衆芸術はいつも新しいものを求め、常に受け入れる。新人の“素人らしさ”は“新しさ”であり、新しさは必ずレコード売上げにつながる。レコード業界はいま“素人の時代”まっさかりなのである。

次回に続く

2006.09.28 Thursday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハーモニー(第2回 その1)

1991年 月間『小説City』(廣済堂出版)に連載したコラムより
この記事についての説明は、9/11の −はじめに− をご覧ください

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都倉俊一の辛口ハーモニー(第2回)
「素人の時代」
〜わが国の文化の奥底に潜む“甘え”の構造を崩さない限り、日本の将来は明るくはない!?〜

 先日、実に久しぶりに知人である萩本欽一氏と対談する機会が会った。萩本氏はその昔、私が“スター誕生”というオーディション番組の審査をしていた頃、その司会者をしていて、もう十数年のおつき合いである。

 萩本氏はコメディアンと言うだけではなく、ここ十数年、テレビ番組の構成、演出者としても縦横無尽の活躍をしていたが、ここしばらくはあまりブラウン管の方ではお見かけしなくなり、淋しく思っていた所である。

 氏にその事を聞くと、
「イヤ都倉さん、これは私も大いに責任がある事だが、あまりにTVに素人が登場しすぎて、オモチャのようになってしまいましてね……」
 という事であった。

 昭和50年頃から、それまでいわゆるプロの領域であったテレビという媒体にどんどん一般視聴者が参加するようになった。時には公開録画の時に会場からお客を突然登場させたり、一般募集で出演してくる若者を一夜にしてアイドルにしたて上げるとか、お茶の間とテレビを近づけるという点では大成功であった。

 しかし萩本氏曰く、自分が意図している方向に番組が向けば向くほど、自分自身が一歩画面から引くようになり、いつしか後ろの方で彼らを見守っている役目を果たしている自分に気がついた、という事である。

 つまり、いつしか番組で自分のおもしろい“芸”を見せるのでなく、おもしろい“企画”を見せる。そしてその企画の基本には、素人を登場させ、“親しみ易い番組にする”という事があったわけだ。
「私は浅草時代から体で“芸”を覚えて来たのだが、テレビではとうとうその“芸”を見せる場がなくなって来た」と氏は言う。
かくして萩本氏は現在すこし頭を冷ますため、舞台の方に燃えているという事である。

 確かに現在のTVバラエティ番組を見ていると、われわれは彼らのおかしな“芸”を見て笑うのではなく、おかしな“人”を見て笑っている。
つまり素人でもうまれつきユーモアのセンスを持っている人が、パッと画面に現れ、そのおもしろいパーソナリティに対してわれわれも好感をもつ。自然、そのパーソナリティに飽きると、おかしくも何ともなくなり次を捜す。現在のテレビ番組のいれ変りのはげしさには、目まぐるしいものがある。

“芸”であれば、その技術を磨くことによりどんどん、おかしさも変化してゆくが、おかしな“人”は飽きられてしまえば終わりである。しかし、これも現代のテレビが持つ、情報の大量伝達の一環であるサービスの大量供給という宿命かもしれない。

次回に続く

2006.09.20 Wednesday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハーモニー(第1回 その2)

(この記事についての説明は、9/11の −はじめに− をご覧ください)


 今の日本に最も必要なことは、新しい世界の変革の中に身をおく前に、この戦後の激動の45年を振り返り、我々はどこから来たのか、今、新しい時代を迎えるにあたり、何を捨て何を残すべきなのか、真剣に考えなければならない時に来ているのである。

 憲法論議から教育問題まで、現在、迷路にはいり込んでしまっているあらゆる問題は、この日本人の意識、つまり本音の部分を考えなければ絶対に解決しない。ここでほんの少し政治家やお役人さんも発想の方向を変えて見てはいかがか? 私の本職の音楽の話であるがこういう話はどうであろう。

 日本をはじめとする東アジア民族は古来、5つの音で音楽を作ってきた。いわゆる5音階音楽(ペンタトニック)である。日本においては明治以後、西洋的12音階が輸入され、文明開化とともに大いに奨励され今日にいたっている。しかし音楽とは文字通り、音を楽しむ事であり、その民族が長年、培って来た音に対する快感は一晩で変るわけにはいかない。

 確かにヨーロッパから輸入された音楽は長い間の研究により5音階音楽よりはるかに表現力が豊かであり、学問的に確立されていた。まず一番の違いは音楽にメロディー、リズム、ハーモニーの3つの要素を確立した事である。日本では特に3つ目のハーモニーという音の概念がよわく、今日においてもその部分が作品的弱さと指摘される事が多い。

 またメロディーにおいて多くの日本人の快感を呼ぶのはドレミでいえば、“ファ”と“シ”を抜いた音階であり、これが4つ目と7つ目の音であることから“ヨナ抜きメロディー”とも呼ばれる。

 諸兄が、カラオケで楽しまれる演歌にこの音階がよく使われている。それでは演歌は日本音楽か?というと、そうではない。作者の作曲時の概念も、メロディー以外の音楽発想も、リズム、ハーモニーをともなった明らかな西洋音楽型式なのである。
 つまり演歌とは西洋音楽なのである。しかし、ここに、作曲がコンピュータの参入できない数少ない領域で理由があるわけで、形式、ツールとして西洋音楽を使っても、それで音の快感を追求してゆくと、どうしてもそこに民族的象徴が表れる。

 筆者がいろいろな国際音楽祭に行っても、これは各国の作曲者の作品に表れる特徴である。演歌の場合がそれが“ヨナ抜きメロディー”なのである。
 この音楽的特徴は日本の社会をよく表していると思う。つまり明治以来、欧米文化を必死に取り入れ、特に戦後、文化、芸術はいうに及ばず、社会制度から生活習慣まで、脱亜入欧をはかってきた日本である。

 そして現在あまりにも多くのものを無条件で取り入れ、それが我々の社会の中で混在し、誰も何の疑問も持たずに和洋折衷の、新しい価値観として定着しようとしている。外見、つまり形式的には、今や日本で日本的なものを見つけるのは甚だむつかしい。
 衣・食に関しては、ヨーロッパより、はるかに贅沢であり、住宅の広さは論じようがないが、世界で最も発達した、テクノロジーを駆使した生活を送っている。そんな西洋化した日本人だが、ひとたび行動を起こすとあまりにも日本人的である。

 海外旅行から社員研修まで、集団行動、集団思考が基本である。入学式から結婚式まで、ぜいたくにはなったが、30年前とやっている事はあまり変っていない。和を重んじ、なるべくはっきりものは表現しない。
 つまり表面的には、どのように見えようと、日本人は表層心理では相変らず、ヨナ抜きメロディーを歌っている事に気がついていないからである。

 くり返しになるが、変化する事は、失う事、時に捨てる事である。われわれが気がつかないで歌っているヨナ抜きメロディーもあるし、わざと歌わなくなったメロディーもあるかもしれない。
 しかし一番こわいのは、われわれ日本人が、気づかずにわすれてしまったヨナ抜きメロディーがあるとしたら、そこには形式だけの西洋音楽しか残らない。戦後45年、われわれ日本人のメロディーをひとつひとつ検証するべき時代にきている。
<第1回・了>

2006.09.11 Monday
【Works】 最新楽曲 『心の傷あと』 視聴開始!

都倉俊一の最新楽曲が、まもなくiTunesにて配信開始となります。

『心の傷あと』 Featuring GATS
作詞:山上路夫
作曲/編曲:都倉俊一
歌:GATS

iTunesでの配信に先立ち、「dmw-でみゅ」にて、先行視聴開始!

iTunesでの配信日程は、決まり次第お知らせいたします。

♪News from STA♪

2006.09.11 Monday
【おぴにおん】 都倉俊一の辛口ハーモニー(第1回 その1)

−はじめに−

最近の世情を見ると、靖国問題をはじめ憲法改正問題など、戦後の歴史認識を論ずる風潮が感じられ、遅きに失した感はあるが結構なことだと思うのである。それに続いてやはり避けて通れないのが戦後日本人はどのように変わってきたか、戦後の教育はどんな日本人を作ってきてしまったのかと言う事を検証することである。
これから数回に分けてこのブログに掲載するコラムは、実は今から15年前の1991年に小生が月間『小説City』(廣済堂出版)に連載したコラムの抜粋である。まさに上記の様なことをテーマにしているのであるが、いま読んで感じることは15年たっても日本の社会や政治に対する疑問は同じだなと言う事、つまり日本の社会があまりこの15年で進歩してきたとは思えないな、と言うことである。
事象、固有名詞は、たとえばブッシュ大統領といえば父親の方のブッシュであるように15年前の物として読んでいただきたい。

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都倉俊一の辛口ハーモニー(第1回 その1)
ヨナ抜きメロディーを歌おう


物を作る事を職業としている者は大体世の中を疑問視して生活していることが多い。規制事実に疑問を持たなければ“新しい創造などできない”などと勝手に思いこんでいるふしもあるが、大体において探究心、好奇心が旺盛でおせっかいなのであろう。そんな能力をフルに発揮してこのコラムを今月から担当させていただく事になった。

 現在の日本社会において、わが好奇心をそそる題材には事欠かない。第一稿として何を書こうか迷ったが、結局、漠然としているが、“戦後日本人の意識”という所から筆を進めようと思う。何故ならこれが今日の政治、社会的問題の根底にいつも存在しているからである。

 ここでいう“戦後日本人の意識”とは戦後45年間で作り上げられた日本人の意識であり、深層心理とは別の二重構造になっている所に今日の特殊性があるように思う。つまり、戦後45年間、“われわれはこうするべきだ”と思いつづけてきた事に対する矛盾が、今、日本の社会のあらゆる所から噴出してきているのである。

 結論からいえば、勤勉な工業立国、戦後の先進民主主義というワクの中に、無理矢理はめこんでしまったため、あまりにも人工的な日本人意識ができ上がってしまったのである。自分達も、それに気づいていないため、矛盾が露見して問題がおきると、“何故”ばかりである。これは今後取り上げるが、教育問題から貿易摩擦、原子力問題から、憲法問題にまで及んでいるように思う。

 戦後の45年という年月は、日本史において、実に特殊な時代なのである。今でこそ“世界の中の日本”などといえるわけだが、昭和20年代においては、それこそ世界の中に日本という国が残れるかどうかという時代であった。当然日本人は自らの生存という課題を背負って歩きはじめたわけである。

 もちろん、物を選べる立場にあるわけではなく、はじめての異民族、異文化の占領で日本はただ生存する目的のため、あらゆるものを拒まず受け入れ過去を否定し、前だけ見て進んできたのである。そして功なり名を遂げ、昭和が終り、平和に入った現在、いざ、“世界の中の日本”と唱えても、何故か空虚に響く。

 まわりを見まわすと、先進諸国から異質者扱いされ、明治以来、脱亜入欧主義をかかげるが、欧米からは仲間にいれてもらえず、時におそれられ、不思議がられ、少々尊敬されるかと思う矢先、やっかまれ、働きすぎだ、物を売りすぎだと攻められる。“じっと我慢が、わが美徳”と弁解しなければならない。しなければ誤解される。

 それならと口を開くとやれオゴルな、タカブルな、軍国主義復活とまでいわれる。結果当然、気持ちは内へと向き、お互いをなぐさめる。“オレ達がなにをした?”“でも、オレ達お金持ちだよね”と小声でささやき、まわりを見ると、満員電車とウサギ小屋。

 何故これほどまでに理解されず、異質者扱いされるのか?確かに日本人の文化、慣習はユニークには違いない。しかし、それをいうなら世界には、その民族独自の文化が無数にあり、どれも特殊性は持っている。それだけをとって“異質者”と見られる理由にはならない。

 ここで“異質な文化”と“異質者”は区別しなければならない。国際社会とは、異質な文化の集まりであり、お互い異質さを理解しようと努めて、成り立っている。しかしこの論理は、自分が他と“どう異質なのか”を理解していないと成り立たない。

 戦後すぐには“たてまえ”として取り入れた西欧的社会システム、考え方がいつしか、本音なのかたてまえなのかわからなくなってしまった。

 日本人の考え方、哲学は?日本の社会的伝統、美しさは?こういうことを自ら失いかけている日本人が、世界の人々に自分達の考え方を伝えられるはずがない。
 “日本はどこへ行く”という最近はやりのスローガンを問う前に“日本はどこから来た?”をまず先に問い、思い出すべきなのである。

 明治の文明開化に、日本人は痛いのを我慢してクツをはいた。クツをはく事が文明開化の象徴であった。今日、若者は痛くてゲタがはけない。子供達の足の親指と人差し指との間にわが世代のようなスキ間はもはや無いのである。わが日本男児の象徴ともいうべき、ダンビロ、コウ高の足が日本から消えようとしている。

 戦後の日本人は体型まで変わってしまった。今さらこの和洋折衷現象を否定したり嘆いてもあまり意味がない。もはや戦後日本に定着した欧米的思考は否定のしようがない。今やまったく新しい日本的価値感が定着しつつあり、これが日本の今日的スタンダードなのである。

 しかし物にはくぎりがあるわけで、誰でもある時、今の自分を見る時、過去を振り返らなければならない。特に戦後の日本のように猪突猛進して来たものはなおさらである。“変化”するという事は元来、自分の持っていた物を失う、時には捨てる事である。

次回に続く

2006.09.04 Monday
【おぴにおん】 みんなで唄える歌がない(7)

 今回の随想のコラムを書かせて頂くにあたり、上記のタイトルで終始させていただいた。
 「みんなで唄える歌がない」とはある意味では日本人の価値観が多種多様になり、かつての同一思考的国民性からの脱却が鮮明になったという意味もある。しかし果たして全てがそうなのか。

 日本では古来、音楽の基本概念は北東アジア地域の特徴である単調5音階音楽であった。俗にヨナ抜き節といい、ドレミの4つ目のファと7つ目のシの音を抜いた5つの音から成り立つ音階である。常磐津、長唄、都々逸から日本全国の多くの民謡、演歌や歌謡曲、果ては相撲の呼び出しから町の金魚売りの声までこの音階である。

 音楽とはその人間がいかにその音から快感をおぼえるかであり、この快感はその民族の成り立ちや環境などによりそのDNAにインプットされたもので理屈ではない。ある意味では「音楽に国境はない」というのは必ずしも事実ではない。明治の文明開化期から百数十年、西洋音楽は日本の土壌に同化し現在に至っているが、今だに日本人はその音つくりのどこかに5音階思考が強い。これは10代の若者にも通じる事で人間のDNAはそう簡単には書き換えられないらしい。

 最近世間を騒がしている商取引や制度において見られるように、首から上で考える欧米的な理屈や合理性が新しく絶対である様に確信し突き進む若い世代はいつの時代にもいる。しかし彼らもそこで少し立ち止まり自分のDNAの云うことを聴いてみることも必要である。もしかして心のどこかで日本人が昔から大切にしてきた思いやりや礼節、忠孝、潔さ等に美しさを感じる事がないのか。みんなが理屈抜きに5音階メロディーに何か安らぎを覚えるように。

【神戸新聞 2006年4月14日(金) 「随想」掲載 全7回シリーズ】

2006.08.30 Wednesday
【おぴにおん】 みんなで唄える歌がない(6)

 前回、無抵抗なオジサンたちのことを少し書いたが、特に専門がクリエイティブな組織では新鮮な若い感覚が大事にされオジサン達は押され気味になる。彼らも自分の組織内の立場を維持するため若者に理解のある上司になり若者のやる事を理解することが組織の上に立つ者の条件となる。もっと言えば若い部下のやることに口を出さないことが上司の役目になって行った。少子化がここまで進むと社会全体にこの傾向が見られるようになる。何といっても若者が足りなくてオジサン達は余ってくるのである。貴重な若者に気に入られることが自分の立場を確保する方法でもある。

 「若い女性が子供を産まない」となると、すぐ「産める社会的条件の整備、経済援助」となる。整備は必要である、しかし本来人間の本能である「子供を作りたい」という願望がなければどうしようもない。果たして今の日本女性にその願望がどのくらいあるのか。そしてマスコミが持ち上げるキャリア女性、行政の謳い上げる男女雇用平等、女性の社会参画等、まるで家庭の専業主婦は無能な時代遅れな選択ともいわんばかりだ。まだ女性の自立の歴史の浅いわが国で、「その上子供を産めですって、それは無理」という声が聞こえてきそうだ。「優先順位が逆なんですけど・・」という声はかき消されそうである。

 ニート対策で先日行政から「仕事が長続きしない若者は人間関係がうまく行かないから」という発表があった。対策として「何とか職場で人間関係がうまく行く方法を指導したい」ということだ。人間関係に耐える教育を受けてこなかった若者が社会に出てゆくと、社会が彼らに合わせてあげなければならない。これも逆じゃないですか?

【神戸新聞 2006年3月30日(木) 「随想」掲載 全7回シリーズ】

2006.08.21 Monday
【おぴにおん】 みんなで唄える歌がない(5)

 終戦後の連合軍最高司令官マッカーサーは「日本人は12歳」といった。「皆いつもニコニコ笑っている。受け答えやしぐさはまるで12歳の子供のようだ」と感じたそうだ。

 独特の文化的背景がある日本人の立ち振る舞いは外人にはなかなか理解できないが、最近の日本を見ていると社会がより幼稚化しているようにも思う。メディアがこぞって囃したてる若者文化。若者の音楽、若者の食べ物、若者のファッション、若者の町など、そこには若者の好みだけが絶対のような風潮がある。オジサン、オバサンたちはそれに抵抗するつもりはさらさらないらしい。テレビを見ているとまるで若者の独占状態である。たとえばお笑いである。アラン・ストックウェルというイギリスの作家は「ユーモアいうものは古今東西常に人種的、階級的、知識的そして年齢的な差がある文化であって、すべての人が共通に笑えるコメディーは存在しない」と言っている。だからこそ世の中には多種多様なユーモアが必要である。
 
 日本のテレビの「お笑い」は何故ターゲットをこうも低年齢化するのか。今いろんな番組を見ていて大人が笑えるユーモアがどのくらいあるであろうか。もちろん芸人も若い。公開番組で聞いている聴衆も幼い。昔から「箸が転げてもおかしい年ごろ」と言うが、何にでも笑いたい年齢である。大人から見れば幼稚なジョークに拍手喝采。勿論番組を作っているスタッフも若い。テレビの番組はこれらの企画の占領状態である。私の知人のプロデューサーは「今やテレビは若者のオモチャ箱ですから」とさりげなく言う。オジサンたちは抵抗する気もないらしい。このままでは日本人の情緒も12歳になってしまう。

【神戸新聞 2006年3月14日(火) 「随想」掲載 全7回シリーズ】

2006.08.17 Thursday
【おぴにおん】 みんなで唄える歌がない(4)

 「日本は恥の文化である」ことはルース・ベネディクトをはじめとする日本文化研究家の言を待たずとも明らかである。「恥」とは相対的なものである。集団生活の中で誰かに対し「恥ずかしさ」を感じ「恥をかく」わけで、逆に失敗を人に知られなければ「恥隠る」ことでホッとする。またじぶんの所属する集団生活の上に成り立ってきたわけで、人前で「恥をかく」ということは己の失敗を「恥入る」ことであり社会生活の和を保つため「こういう事は恥ずかしい事である」というルールを教育されてきた。

 そう言う教育がなくなり、中途半端に「個」をもてはやし、社会の協調というものを軽んじる教育がなされると、たとえ自分の失敗だとしても「恥を知れ」とたしなめられれば、プライドが傷つき、「恥ずかしめ」を受けたと逆切れする若者が増えてゆく。単なる「個」のわがままである。

 深層心理のどこかでムラ社会の中に埋没するかもしれない弱い自分を恐れているのかもしれない。埋没するのは「恥」だから逆に大声で唄(うた)い自己主張をする。しかしその歌は誰ともハーモニーとしては響かない。

 日本の生きる道であった「群れて強調する」ことの中で最近「群れる」だけがやたら目につく。そこには「恥ずかしさは弱さ」みたいな心理が見えかくれする。一月の成人式で傍若無人に振舞う若者達も群れなければ1人では行動できない弱さがある。コーラスをした人は必ず経験する事だが、自分の声を抑え周りに溶け込むような発音を心掛けるのが良いハーモニーを奏でるコツである。一度その時に至福の感覚を体験してもらいたいものだ。

【神戸新聞 2006年2月27日(月) 「随想」掲載 全7回シリーズ】

2006.08.07 Monday
【おぴにおん】 みんなで唄える歌がない(3)

 学校教育の場であまり歌を唄わなくなったという記事を読んだ。国家を歌わない学校があるくらいだから驚く事もないのかも知れない。私も日本全国、色々な所の校歌、市の歌、県の歌、を作って来たが、それぞれの地域の伝統やその学校の歴史、教育、哲学などを知る機会を得て大変興味深かった。
 高度経済成長のころ、毎朝全員で歌っている光景が紹介され日本企業のチームワークの象徴として世界的に有名だった社歌も最近はあまり歌わなくなったそうだ。終身雇用の崩壊、リストラ社会で会社に対する愛情も薄れ、その会社の歌を唄わなくなるのも理解できる。

 しかし、皆で「群れる」と言うことではなく同じ目的に向かって進む仲間意識を高めるために一緒に歌を唄う行為は、それなりの理由がある。それは皆で歌を唄う時の高揚感でありそれにより生じる一体感である。詩の内容も曲調も多くの場合そう言うふうに出来ている。

 普段言えないような事も照れくさい事も歌にすれば自然と出てくるし、皆で唄えばより説得力を増す。その意味で校歌、寮歌、社歌、県歌等はそれなりに役割を果たして来たように思う。しかし何よりも増して日本人にとって大切な「和」が生まれる。これは日本人に限ったことではなく外国でも幾らでも例がある。種々雑多な人種を抱えた国でも一緒に国家を唄う事で連帯感が生まれる。初めて会った人たちとキャンプファイヤーを囲んで唄う歌からも友情が生まれる。

 私は「海ゆかば」という曲が大好きである。しかしこの歌は戦争の想い出が悲しすぎて使われないそうである。私は海上保安庁の海の葬送歌「君は帰る母なる海へ」を作らせてもらった。灯台の日にこの歌を遺族とともにみんなで唄った。皆目に涙をためていた。

【神戸新聞 2006年2月10日(金) 「随想」掲載 全7回シリーズ】

2006.07.31 Monday
【おぴにおん】 みんなで唄える歌がない(2)

 いわゆる団塊Jr.以下の世代がどういう音楽体験をしてきたかを見てみると、TVの前でピンク・レディーの踊りを覚え、ニューミュージックで自ら音楽体験もし、その後Jポップをエンジョイしている。またその前の世代と決定的に違うのが音楽情報量の多さで、子供の頃からマルチメディアを利用しボーダーレスの情報を世界中から手に入れる事に慣れている。当然音楽的感性が発達し音楽はTVを通じて与えられる物ではなく、自分で探求するものと変わってきている。つまり自分だけの「音楽」探しが可能になってきたのである。

 社会学的に見ると、彼等は幼い時にバブル経済を経験し物質的な豊かさは珍しくもない。それより自分にとってのクオリティーの豊かさに視点が変わってきている。つまり生活に自分らしさを探す事がより重要であり、オンリーワンなるものを探しているのである。この傾向はファッション、飲食、住宅などの選択行動にも見られるわけだが、当然の事ながら音楽に接する時も自分だけの好みが優先する。「ワン・オブ・ザ・カインド」なる音楽を求めて行くのである。つまり「皆が唄(うた)っている歌だから唄いたい」、から「皆が唄っている歌だから唄わない」思考が強い。これではいわゆる国民歌謡は生まれようがない。

 音楽を作る立場の人間はこれをどう理解すれば良いのか。もう国民一丸となって一つの思考、傾向に向かって突き進む現象を起こせると思うこと自体、幻想なのかもしれない。しかし高いクオリティー・ライフを求める個人が満足する物はマスでは作れない。我々も自分の信じる方向へ音楽を追求し、どれだけの特定の人達がついて来てくれるのかが勝負になるのかもしれない。

【神戸新聞 2006年1月26日(木) 「随想」掲載 全7回シリーズ】

2006.07.24 Monday
【おぴにおん】 みんなで唄える歌がない(1)

 最近よくある話題に「最近の歌はメロディーがない」「皆で口ずさめる歌がない」「昔の歌はよかった」というのがある。主に70年代、80年代、集中的にヒットチャートに歌を送りこんでいた小生などの耳には一見心地よさそうに聞こえる会話なのだが、果たしてどうなのか。

 確かに70−80年代に年間最低4、5曲はあったミリオンセラーが、最近のヒットチャートを見ていると1曲あるかないかである。CDの売り上げだけを見ても、2005年度は1995年度と比べても、実に半減している。この一見音楽業界の衰退とも見える現象には、様々な要因を含んでいる。

 まず日本人は古来メロディー(節)を詩(うた)に付随するものとして捕(と)らえて来た。かつて故古賀政男先生から「都倉君、詩が夫でメロディーは女房の役目だよ」と言われ、若気の至りで「いや先生、私は逆だと思います」と、先生を苦笑させた覚えがある。

 音楽家としては音が言葉より優先しているという気持ちが強かったようだ。1970年代と言えば録音技術の発達とともに作曲家の曲作りの方法も変わってきた頃である。いわゆるマルチトラック録音と言うもので、この辺からレコーディング・プロデューサーなる仕事も生まれた。いかにスタジオでよい音を作るか、良いサウンドを作るかにまい進し、言葉を軽視していった結果、いつしか良い「ミュージック」はあっても、良い「ソング」が出来にくくなってきたのかも知れない。

 今の若者の音楽的感性は驚くほど発達して来たが、日本人のDNAが古来から持っている情緒のようなものが数十年で変わるはずもなく、もう一度すなおに「節」と「詩」に戻ってみる時なのかも知れない。

【神戸新聞 2006年1月11日(水) 「随想」掲載 全7回シリーズ】

2006.06.21 Wednesday
【Diary】 ご挨拶

初めてホームページを立ち上げました。
今まで長い間いろいろなアーティストといろんな音楽を作ってきましたが、それらを振り返ったり、今これから世に出て行くであろう新しい才能達も皆さんにご紹介できたらと思っています。

またヒット曲だけではなく現在ぼくが関わっている世界のミュージカルシーンをはじめ、舞台、オペラ、映画の背景音楽まで、いろんなジャンルの音楽も紹介していきます。

BLOGの中に「おぴにおん」というジャンルもつくりました。僕が雑誌や新聞に書いたコラムや普段感じていることなど、柄に似合わない「社会派的」?なあれこれも読んでいただけたらと思います。

またiTunes Music StoreにPodcastも立ち上げ、その中でも、懐かしい楽曲、さらには新たに紹介したい楽曲などについて、いろいろ語っていく予定です。

それでは末永くお付き合い下さいますように。